ポートアイランド
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商業面での発展だけでなく、教育面でも先進的な取り組みが行われており、2002年には三宮地域と神戸空港を結ぶ重要な都市軸上に位置する西側の区域が「神戸ポートアイランド西地域」として政令による都市再生緊急整備地域に指定され[5]、ポーアイ4大学のキャンパスの開園[6]へと再開発が行われたことをきっかけに大学および高等学校が増加、神戸市内有数のキャンパスゾーンを形成している。2016年にはこれまでの小中一貫教育の取り組みが制度面で認められ、日本初となる義務教育学校が設立された。

1995年に発生した阪神・淡路大震災では液状化現象などにより甚大な被害を受けたが、迅速な復旧により震災を乗り越え、街びらきから40年が経ち、新たな街づくりが始められている。
工期

着工竣工総面積町名
第1期(北部)
1966年(昭和41年)1981年(昭和56年)4.43 km2 (443ha)[7]港島中町港島
第2期(南部)1987年(昭和62年)2010年(平成22年)3.90 km2 (390ha)[7]港島南町・港島

町名
港島(みなとじま)
海岸沿い(南岸を除く)
港島中町
北部(海岸沿いを除く)
港島南町
南部(東岸を除く)
歴史
構想と建設建設中のポートアイランドの航空写真

戦後の高度経済成長期に、神戸港の港湾貨物の取扱量は予想以上の伸びを示し、これにより入港船の滞船が慢性化していた。神戸市は新港第7突堤・第8突堤や兵庫突堤、摩耶埠頭などの建設により、港湾施設の増強に努めるものの滞船は減少するきざしがなく、それをさらに上回る勢いで貨物量は増加する一方であった。また、当時は明治時代に建設された新港突堤を中心に運用されていたが、いずれも施設が古く、特に世界海運界のコンテナ化が進むなかで、従来の狭い埠頭ではコンテナヤードとしての利用は困難であった。そのため、新たに建設する埠頭は、バース数の多く大規模なものを早急に建設する必要が生じた。加えて、背後の市街地では開発がしつくされ[* 1]、港湾に付随する貿易関連などの諸施設用地などの取得はきわめて困難で、新たにこれらの用地も確保、造成する必要があった。一方、都市施設に対する市民の要求も多様化し、政治、経済、商業、文化等の都市機能を受け入れることのできる新しい都市空間の創造が必要となった。これらのことから、1963年11月に最初のポートアイランド構想が浮上した。

計画にあたっては、
世界海運界のコンテナ化に対処し、従来の櫛形突堤では求められなかった広い埠頭、コンテナバースを建設する。

外貿貨物量の急増に対処し、大幅な定期船バースの増加をはかる。

バース使用のいっそうの効率化をはかるため、専用貸付方式を実施する。

高度の機械化荷役をはかるとともに、経岸荷役を促進し荷役費の軽減をはかる。

造成用地は神戸港将来の発展のために利用し、業務商業用地、貿易関連産業用地、都市再開発用地、交通ターミナル、住宅用地、緑地公園等を配置し、うるおいのある港湾都市づくりをすすめる。

の5つの目標が掲げられた。

このような方針にもとづいて、新港突堤の南に扇状にひろがる第2防波堤、第3防波堤に囲まれた水面にE字型の人工島として計画されたのがポートアイランドである。1966年2月28日の「ポートアイランド埋立基本計画」によりポートアイランド誕生への第一歩が踏み出された。同年4月14日には、早くも護岸工事が着工され、翌年1967年4月7日には高倉山を中心に、横尾、名谷および西神総合運動公園地区の広範囲の土砂や、建設残土を合わせた約8千万m3の土砂によって埋立が開始された。掘削された跡地は須磨ニュータウンの中核をなす住宅地へと開発され、「山、海へ行く」を合言葉としてこれら一体の開発が進められた。埋立工事は神戸市が、防波護岸、物揚場、危険品バースは運輸省第三港湾建設局が、コンテナバース、ライナーバースは阪神外貿埠頭公団が、それぞれ設計施工を担当。底開式バージのほか、新たに開発されたバケットホイール式アンローダー・シフタブルコンベヤシステム等により揚土埋立、サンドドレーン工法やプレロード工法、振動締固め工法等の地盤沈下対策を行いながら、着工より15年の歳月をかけて建設が進められた。

1981年2月4日、ポートアイランド合同完工式が行われ、埋立面積436ha、全体事業費5,300億円(港湾施設設備1,477億円、埋立地造成742億円、公園緑地整備99億円、交通関連施設整備637億円、都市機能上物整備2,345億円)、埋立土量8,000万m3、計画人口約2万人、計画戸数約6,500戸の、竣工当時世界最大の人工島として、埋立が完了した。まちびらきに合わせ、ポートピア'81(神戸ポートアイランド博覧会)が開催された。当初の予想を大幅に上回る入場者が訪れ、地方博内で最多の入場者数を記録し(現在でも記録は破られていない)大成功を収めた。その後の地方博ブームのさきがけとなったほか、まちびらきにあたって博覧会を開催するという手法は横浜博覧会横浜市みなとみらい21地区)など各地で用いられるようになった。

ポートアイランドの基本的施設として、ポートスクエア・インターナショナルスクエア・総合業務センター・コミュニティスクエア・マリンパークの5つの基本ゾーンが設定された。ポートスクエアは埠頭港湾機能、インターナショナルスクエアは多目的広場・インターナショナルトレードセンター・エキゾチックタウン、総合業務センターはポートアイランドの総合管理運営機能、コミュニティスクエアは住宅生活機能、マリンパークは海や港に接する公園としてそれぞれ整備が行われ、これらは都市緑地軸でつながれている。
第2期建設

当時の神戸港は、ニューヨークロッテルダムに続き世界3位のコンテナ取扱量を誇るアジアを代表する貿易港であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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