ポートアイランド
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震災発生年の6月30日、神戸市は「神戸市復興計画」を発表、神戸港の復興を目的として、ポートアイランド第2期に国内初の水深15m以上の高規格コンテナターミナルの整備、およびシンボルプロジェクトとして「神戸起業ゾーン整備構想」を選定[9]、インキュベーションの拠点となる中核施設を整備し、優遇税制、規制緩和、総合保税地域制度などを特長とする「エンタープライズゾーン」を設置することとした[10]。これがのちの神戸医療産業ゾーンへとつながる。

コンテナバースの復旧は暫定供用開始した後、「打手替え」方式によって本格復旧工事が行われ、1997年3月31日に港湾施設が全面復旧。5月19日に、神戸市は「神戸港復興宣言」を発表。同年に市民広場駅より世界最長である全10本のムービングウォークを設置し第1期部分と第2期部分と間のアクセスを向上、防災機能の強化とともに島全体が一体となっての再興を図った。
空港開港神戸空港とポートアイランド

震災の影響で商業施設等の多くの施設が島から撤退、震災年の1995年で16,965人だった島内人口は減少に転じ、2003年には14,000人台にまで減少した[11]。第2期地区では土地の売却が進まずに問題となり、2006年3月31日には博覧会の終了後も営業が続けられていた神戸ポートピアランド阪急グループの経営再建に伴い閉園するなど、景気低迷と相まって低迷期が続いた。

そのような中で転機が訪れたのは、2006年2月16日の神戸空港の開港である。開港に先立ち2月2日にポートライナーが複線化・延伸し、第2期埋め立て部分へのさらなるアクセス向上が図られた。2002年に「神戸ポートアイランド西地域[* 3]」として政令による都市再生緊急整備地域に指定された[12]ことを受けて、2007年春に神戸学院大学神戸夙川学院大学兵庫医療大学の3大学がキャンパスを新しく開設。空室が目立っていた団地内では大学関係者や学生により満室状態に、低迷していたポートライナーの乗客数も急増し現在ではAGT内で最多の輸送力と輸送人員を誇り、ラッシュ時には東京の山手線大阪地下鉄御堂筋線をも上回る列車頻度で運行している。

第2期地区でも、1998年にスタートした「神戸医療産業都市(KBIC)」で神戸空港開港の後押しにより企業数が急増、2007年3月28日に次世代スーパーコンピュータ」の誘致に成功し、2012年9月28日に供用が開始された。2013年9月12日に世界初となるiPS細胞を用いた網膜シート移植手術を実施したと発表。2014年5月1日に国家戦略特別区域に指定され、2016年4月末現在では、理化学研究所などの研究関連施設や医療関連企業が予測を上回る316社が進出し[13]、国内最大級の医療クラスターとなっている。さらに重機販売会社や中古車販売会社が集積して輸出を行う中古車市場も設けられ、港湾機能では「スーパー中枢港湾/ハイパー中枢港湾」の「次世代高規格コンテナターミナル」に指定、2016年には神戸港のガントリークレーン数が国内最多となり[14]、そのうち8基をポートアイランド第2期地区で担う。

近年では、神戸市立医療センター中央市民病院兵庫県立こども病院が移転開院し、富岳の設置が第2期埋め立て地区に決定。理化学研究所では関西拠点を発足[15]させ省庁や独立行政法人の研究機関を移転開設。全国初のiPS細胞による目の病気の研究・治療・就労支援を一体的に行う「神戸アイセンター」の建設[16]などの医療・研究ゾーンとしての成長のほか、川崎重工業により水素と天然ガスを燃料とした1メガワット級のガスタービン発電設備の建設が発表され[17]、1800年超の歴史上初となる生田神社分社が第1期埋め立て地区に完成[18]、愛知より世界最大級の職業訓練施設「港湾技能研修センター」の移転[19][20]など多様な面で成長を見せている。
年表1963年11月の計画図1964年7月の計画図1965年6月の計画図


1967年7月の計画図(了承された案)。右は将来的にライナーバースを増設した場合の計画図
1970年6月に一部改訂された最終的な計画図

1963年

8月:港湾局計画課が兵庫突堤より突き出した大型突堤の計画図を当時の市長であった原口忠次郎に提示。

11月:埋立事業局が「ポートアイランド計画図」(約630ha)を原口市長に提示(最初のポートアイランド構想)。


1964年

5月22日:原口市長が新聞に「ポートアイランド構想」を発表。

7月30日:原口市長が神戸市会議員総会で「ポートアイランド構想」(約660ha)を説明。


1965年

3月24日:第三港湾建設局が「ポートアイランド計画案」(約250ha)を提示。

6月23日:第三港湾建設局が「ポートアイランド計画案」(約272ha)を作成。

6月30日:新港湾整備5か年計画の昭和41年度予算要求において、新埠頭計画(ポートアイランド)を予算要求。

7月5日:第三港湾建設局がポートアイランドの海底土質調査を開始。


1966年

2月28日:ポートアイランドの埋立基本計画を市会に提案。

4月14日:第三港湾建設局が防波護岸に着工(ポートアイランド着工)。


1967年

4月7日:神戸市がポートアイランド埋立に着手(第4回須磨土砂運搬による埋立工事)。

4月28日:運輸省が「大阪湾沿岸港湾整備計画に関する協議会」を開き、ポートアイランドの形状等の最終案を決定。

7月21日:神戸港港湾審議会が、ポートアイランドの建設を中心とした神戸港の建設計画を原口市長に答申了承。

8月3日:運輸省港湾審議会第28回計画部会においてポートアイランド計画が了承される。


1968年

1月22日:当初の基本計画が運輸大臣から指示される(事業費320億、コンテナ埠頭6バース・一般外航貨物定期船埠頭26バース)。

1月23日:西側コンテナ埠頭岸壁築造に着工。

4月1日:「神戸大橋」着工。

10月9日:ポートアイランド起工式。


1970年

4月10日:「神戸大橋」開通式。

6月25日:ポートアイランド利用計画研究会が、最終報告を提案し、了承される。

6月26日:ポートアイランド外貿埠頭基本計画の改定について、運輸省港湾審議会計画部会で決定。

6月30日:第1回変更基本計画の指示(事業費372億、コンテナ埠頭8バース・一般外航貨物定期船埠頭10バース)。

7月8日:コンテナ第1号岸壁供用開始。

7月9日:第1船として、コンテナ第1バースに、シーランド社のコンテナ船「パナマ号」が入港。


1971年

3月15日:神戸港ポートアイランド基本設計委員会が、土地利用計画を最終報告。

3月:埋立土量8千万m3のうち半分完了。

4月10日:「神戸大橋」の上下全線開通。

6月3日:ポートアイランドを生田区に編入する旨の市区政調査会の答申を報告。


1972年

3月31日:共同溝が完成。第2回変更基本計画の指示(事業費492億、コンテナ埠頭9バース・一般外航貨物定期船埠頭15バース)

5月2日:ポートアイランドに町名設定(港島1?4丁目)

12月11日:六甲アイランドの建設着工。


1973年

1月30日:第3回変更基本計画の指示。


1975年

9月19日:ポートアイランド用途地域の指定。

12月19日:ポートアイランドインターナショナルスクエアの基本計画を発表。


1976年

4月20日:第4回変更基本計画の指示。

5月1日:ポートアイランド1号上屋供用開始。

5月8日:「ポートアイランド北公園」完成。

8月16日:ポートアイランド民間高層住宅団地の分譲開始。


1977年

1月29日:「ポートピア大通り」建設着工。

10月8日:「ポートアイランド中公園」が開園。

11月19日:「港湾幹線道路」の新港?摩耶埠頭(ハーバーハイウェイ)東行きが開通。


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