ポンチ絵
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官公庁におけるポンチ絵日本の組織工学の祖にして宇宙開発の父、糸川英夫。管理職にポンチ絵を描く能力を求めた

官公庁における「文書」において、事業や計画の概要を解りやすく示したり、内容を補足する目的で掲載される図を、「ポンチ絵」と称する。

元々は上記のごとく、技術者による手書きの図で、予算を獲得するために官公庁に提出する文書に添えられた絵だった。1950年代当時、すでに米国に存在したようで、日本初のロケットとなるペンシルロケットの開発に当たって通産省と文部省から1955年当時の金で560万円を引き出したロケット開発者の糸川英夫は、『ミニットマン・ミサイル : 驚異兵器をつくった人びと』(ロイ・ニール著、久住忠男 翻訳、1964年)を参照して、こう語っている。

ミニットマン計画にタッチした人びとの苦闘の物語なんですが、ミニットマンはいままでのミサイルとどう違うのか、ということをたいへんうまいポンチ絵をかいて、政治家とか大蔵省の役人、技術のわからない人などに「なるほど」とうなずかさせる。[10]

糸川は、1967年より「組織工学研究所」を組織して自らの考えを広めた。糸川によると、専門家集団を束ねるプロフェッショナル・マネージャーに必要な能力とは、「1.自分の専門を忘れる」「2.迅速で正確な判断力」「3.想像力」「4.中立人間関係」「5.文章能力」「6.オーラル、口頭で伝えたいことを伝えられる」「7.グラフィック・エクスプレッション」の7つであるが、この「グラフィック・エクスプレッション」とは、「ポンチ絵を描く能力」である[11][12]。つまり、「ポンチ絵」の概念は、1970年代には既に確立し、当時の日本では管理職にポンチ絵を描く能力が求められた。糸川は、官公庁へもたびたび出向いて講演を行った。

1990年代前半までのポンチ絵は、文字こそ写植であったものの、絵は製図ペンとテンプレートを使って描かれていた。考慮すべき要素を4象限マトリクスになるだけ入れ込んだポンチ絵や、産・学・官の利害関係者をなるだけ入れ込み、なおかつ産・学・官のそれぞれが対等であることを示すために円環でつながり、そこから矢印が出てさらなる次元に向かうポンチ絵などは、1980年代から1990年代前半には確立し、文書に散見されるが、手書きでは大きさや精度に限界があった。

1990年代後半以降、官公庁においても急速にオフィス・オートメーションが普及すると、Microsoft PowerPointなどのプレゼンテーションソフトウェアを使用して事業などの内容を図表化・図示化した資料のこともポンチ絵と称するようになった。トーンやグラデ、フルカラーさえ使えるようになった。文章に図画が添えられた従来の文書ではなく、図画が主体となった文書(「ポンチ絵」)は、従来の文書よりも分かりやすいものとして組織内の説明や審議会などの配布資料にも不可欠となり、中央省庁の官僚にとってポンチ絵の作成は基礎的かつ必須の技能となっている(なお、法的には文書、図画及び電磁的記録のことを「文書」というので、パワーポイントで作成した「ポンチ絵」も文書に含まれる)。

21世紀においても科学研究費助成事業をはじめとした競争的資金の申請においては、ポンチ絵の提出が盛んに求められており、ポンチ絵の出来栄えが申請の可否に大きく影響することも少なくない。

公文書は官僚制の帰結としてしばしば多義的・あいまいであったり、真意を覆い隠すための冗長な表現があったり、行間を読まなければ真意が分からないことが多いが、ポンチ絵も例外ではなく、理解を助けるための図表であるはずが複雑に組み合わされたテキストボックスや矢印により極めて晦渋な図となっていることも少なくない。

なお、省庁ではGraphicの訳語として「ポンチ絵」と称するらしく、郵政省系の組織である電気通信振興会が1994年に発表した、米人による「インターネット」の説明の訳文において(当時、米国で普及しつつあったが、ほとんどの日本人は想像すらできず、説明が必要だった)、おそらくはGUI(Graphical User Interface)の訳として「ポンチ絵が表示されたインターフェース」としている[13]
その他のポンチ絵

機械設計と同じく、建築設計でも構想段階のスケッチを「ポンチ絵」という。やはり同じく、建築CADの普及などにより死語となった。


コンピュータのユーザインタフェースが直感的ではなかった1960年代までは(ディスプレイやキーボードを搭載せず、パンチカードやさん孔テープ、スイッチでの数値入力等を介してコンピュータとやり取りしていた)、プログラムをコンピュータに入力する前段階として、プログラム構造(現代で言う
ブロック図のようなもの)を手書きの図で描いており、これも「ポンチ絵」といった。1960年代当時のコンピュータのプログラムは「バッチ処理」が多く、直列的だったせいか、簡単な「ポンチ絵」が多かった[14]。オンラインシステムになると複雑化し、ポンチ絵では説明できなくなった。

脚注[脚注の使い方]^ 『日本の戯画 : 歴史と風俗』、宮尾しげを p.228、第一法規出版、1967年
^ 『一平全集』第1巻、p.422「川柳家へ漫画家より」、岡本一平、1929年、先進社
^ 『新漫画の描き方』岡本一平、中央美術社、p.261
^ 『技術と経済』1983年1月号、科学技術と経済の会、p.117
^ 『産業能率』1955年4月号、大阪能率協会、p.28
^ 『機械設計』1976年6月号,p3,日刊工業新聞社
^ 『機械設計』1987年10月号、日刊工業新聞社、p.103
^ 『設計・生産分野における知識処理システム構築に関する研究』高田修、2000年、p.3
^ 平野重雄ほか「252 機械設計におけるポンチ絵の有用性について(OS 設計教育・CAD教育(II))」(公開研究会・講演会技術と社会の関連を巡って : 技術史から経営戦略まで : 講演論文集 2014)
^ 『マネジメントガイド』1968年8月号、産業能率短期大学編、技報堂、
^ 『JREA』1970年3月号、日本鉄道技術協会、p.5
^ 『技術と経済』科学技術と経済の会、1969年7月号、p.39
^ 「情報通信ジャーナル」1994年7月号、p.43、電気通信振興会
^ 『電気通信研究所研究実用化報告』1980年3月号、日本電信電話研究開発本部、p.315

参考文献

吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年

山梨絵美子編 『日本の美術368 清親と明治の浮世絵』 至文堂、1997年

荒田洋治『日本の科学行政を問う: 官僚と総合科学技術会議』 薬事日報社、2010年

関連項目

パンチ (雑誌)


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