ポリドール・レコード
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etc…
日本のポリドール「ユニバーサルミュージック (日本)#Polydor Records」も参照

ポリドール・レコード(日本)

親会社ユニバーサル ミュージック グループN.V.
設立1927年
販売元ユニバーサルミュージックLLC
ジャンルJ-POPロック歌謡曲演歌
日本

社史に、日本ポリドール、大東亞蓄音器、日本グラモフォン、ポリドール株式会社、ポリグラム株式会社、ユニバーサルミュージック株式会社、ユニバーサルミュージック合同会社、と社名変更の歴史も刻まれる。
沿革
株式會社日本ポリドール蓄音器商會

1926年、当時
ドイツ・グラモフォン社(ポリドールレコード)の国内での輸入元を務めていた阿南商會の阿南茂が、松本荘之助・鈴木幾三郎(銀座十字屋)・技師の塩崎仲吉とともにドイツに渡り、同社と折衝の結果、日本国内におけるレコードの製造許可を取得する。

1927年5月30日、阿南正茂が『株式會社日本ポリドール蓄音器商會』を設立、ポリドール・レコードの国内での販売を開始する。

1942年3月、戦時中の外国語使用禁止の風潮を先取りし、社名を『大東亞蓄音器株式會社』に変更。ブランド名については、邦楽部門を大東亜レコードに変更したものの、洋楽部門は引き続きポリドール・レコードを使用した。

1943年12月、社名を大東亞航空工業株式會社に変更する(時期は諸説あり)。

1944年1月新譜(1943年12月20日発売)を最後に商業レコードの新譜発売を中止する。同月の月報は国立国会図書館音楽・映像資料室で閲覧可能で、従来の新譜中止月の誤りを確認出来る。のちに政府の依頼で大東亜会議の模様を記録した組物 (P-5375 - 5445) を製作し、東京都と連携した盤 (P-5446) も存在し、最終的な生産終了時期は不明である。

1945年4月13日、空襲で表参道の吹込所(東京都赤坂区青山北町6丁目)を焼失。同月15日、空襲にて池上の本社・工場(東京都大森区堤方町215番地)が類焼(全焼では無く、原盤は被害を受けなかった)。

同年6月21日、福島県桑折に工場を新設し、疎開。

戦後の1946年11月25日、日本コロムビアのスタジオにて、戦後初めての新録音を開始(1947年説は事実誤認)。

1949年3月20日、表参道の吹込所が復旧。

1950年4月、『ポリドール蓄音器株式会社』に社名変更。

1950年11月24日、桑折工場を失火で焼失、被害額2000万円との新聞報道。

1952年10月、桑折工場が復旧し、新譜の発売を再開。

日本ポリドール株式会社 → 日本グラモフォン株式会社 → ポリドール株式会社

1953年4月1日、新資本による日本ポリドール株式会社が設立される
[15](東京都港区赤坂青山北町)。富士電機が株式の一部を取得し、古河グループの企業となる。

同年11月20日、12月新譜を新会社の第1回発売分とする。

1956年、『日本グラモフォン』Nippon Grammophone Co., Ltd. に改組。

1959年、ステレオ・レコードの発売開始。第1号はロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルによる、ベートーヴェン作曲交響曲第5番「運命」(SLGM-1)。


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