ポリティーク
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ここでの「国民」(citoyen)とは、他人の主権に依存するが、しかし自由な「臣民」(sujet)なのであった[4]。ボダンは中世的な国王大権を発展させて、主権概念をつくった。この主権とは、国家を支配-被支配の関係で捉えた際に支配者側が持つ絶対的な権限のことで、国家にあっては国王にのみ固有のものである。彼は、猖獗をきわめた宗教戦争に対する反省から、「家族においても国家においても主権者はただ1人でなければならない」とし、これに反するいかなる説も「暴君による悪政にも劣る放埓なアナーキー」の状態を招くとしてこれを断罪した[5]。具体的には、同時代のモナルコマキ(暴君放伐論)がここでは意識されている。彼によれば、「国家の絶対的な権力が主権」なのであり、「主権による統治が国家」であった。つまり主権は国家そのものと不可分である。要するに、伝統的な封建制や従来の身分制社会では、国王と末端の被支配者である人民との間に、大貴族や群小の領主のように中間権力が存在したが、ボダンは主権概念を設定することによって、中間権力を排除して、支配者と被支配者の二者関係で国家を定義した[6]。その意味で、ポリティークの考え方は決して民主主義的とはいえないが、国家の世俗性と宗教の個人性・内面性、主権国家を指向する点で近代的性格を有しているものと評価される。

信仰的にはカトリックにとどまりつつもローマ教皇庁からは一定の距離を置くガリカニスム、すなわちフランス教会自立主義を奉じる人びとの多くも、ポリティークの思潮に加わった[7]ローマ教皇神聖ローマ皇帝に対してはフランス国家の独立を掲げ、国内にあってはから直接権限を委託された存在としてフランス王権の強化を図ろうとするこのグループが、宗教戦争を勝ち抜いたアンリ4世の周囲でブルボン朝による国政の主流を担うことになる[7]。16世紀後半におけるヨーロッパ国際政治の焦点であったユグノー戦争は、王国分裂と外国勢力介入という危機のなかで主権国家の論理を明確なかたちで立ち上げた[7][8]。フランスにあっては、それが絶対王政というかたちとなって次代に展開していくのである[7]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ユグノー戦争とは、1562年ヴァシーの虐殺などを契機として始まり、1598年ナントの勅令によって終結した、フランス王国におけるカトリック・プロテスタント間の宗教戦争。休戦をはさんで8次40年近くにわたり戦われた。「ユグノー」は、フランスにおけるカルヴァン派(宗教改革者ジャン・カルヴァンの教理を支持する一派)のことで、本来は蔑称である。

出典^ a b 福田(1985)pp.266-267
^ 長谷川(1997)pp.53-48
^ ボベロ(2014)pp.19-20
^ a b c 福田(1985)pp.270-271
^ プライス(2008)pp.74-77
^ 柴田ほか(1996)pp.141-143
^ a b c d 高澤(2006)pp.12-15
^ 林田(2001)pp.155-156

参考文献

柴田三千雄樺山紘一福井憲彦『フランス史』 2巻、山川出版社〈世界歴史大系〉、1996年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-634-46100-0。 

谷川稔渡辺和行編著 編『近代フランスの歴史?国民国家形成の彼方に?』ミネルヴァ書房、2006年2月。ISBN 4-623-04495-5。 

高澤紀恵「「アンシャン・レジーム」のフランスとヨーロッパ」『近代フランスの歴史?国民国家形成の彼方に?』2006年。ISBN 4-623-04495-5。 


長谷川輝夫; 大久保桂子; 土肥恒之『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403417-2。 

長谷川輝夫「1.宗教改革と宗教戦争」『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論社、1997年。ISBN 4-12-403417-2。 


福井憲彦 編『フランス史』山川出版社〈新版 世界各国史12〉、2001年8月。ISBN 978-4-634-41420-4。 

林田伸一 著「近世のフランス」、福井憲彦 編『フランス史』2001年。ISBN 978-4-634-41420-4。 


福田歓一『政治学史』東京大学出版会、1985年。ISBN 978-4130320207。 

ロジャー・プライス 著、河野肇 訳『フランスの歴史』創土社〈ケンブリッジ版世界各国史〉、2008年8月。ISBN 978-4-7893-0061-2。 

ジャン・ボベロ 著、私市正年、中村遥 訳『世界のなかのライシテ?宗教と政治の関係史』白水社文庫クセジュ〉、2014年9月。ISBN 978-4-560-50994-4。 

ジャン・ボベロ 著、三浦信孝伊達聖伸 訳『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』白水社〈文庫クセジュ〉、2009年5月。ISBN 978-4-560-50936-4。 

関連項目

ユグノー戦争

モナルコマキ

絶対王政

王権神授説


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