ポピュラー音楽
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伝統音楽(英語版)のように典型的には学術的な形態によって伝えられたり口承によって小規模の局地的に限定された聴衆に広められる音楽とも対照的な存在である[7][8][9]

この用語はもともと、1880年代のアメリカ合衆国ティン・パン・アレーの音楽を指したものであった[2]

また、日本ではポピュラー音楽を指して和製英語で「ポップス」とも呼称する[10]

アメリカ合衆国では「pops」という語はボストン・ポップス・オーケストラのようにオーケストラがポピュラー音楽や映画音楽などを演奏することを示す[10]。また俗語で「おやじさん」の意味を持つため、ジャズやポピュラー音楽界では特に勢力のあるリーダーや大人物に対する愛称としても使われる[10]
歴史「音楽史#ポピュラー音楽史」も参照

「ポピュラー音楽」という言葉には、広い意味・狭い意味・その他諸々異なった意味合いがあり、文脈によってこの広がりが変わったりずれたりということが起き、定義を難しくしている[11]

ここではポピュラー音楽を「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている近代的な商業音楽」とやや狭く定義[12]し、その歴史を記載する。広義のポピュラー音楽に含まれるがこの項では扱われない音楽に関しては、民俗音楽民族音楽および各国の音楽の項などを参照されたい。
ポピュラー音楽の源泉

ポピュラー音楽のルーツとして、19世紀後半のヨーロッパの大衆音楽、カリブ海及び南米の混血音楽、アメリカで誕生した音楽の3つが指摘できる[13]
19世紀後半のヨーロッパの大衆音楽

19世紀後半、ヨーロッパでは資本主義の興隆によって豊かな中産階級の拡大と都市部への労働人口の流入が見られた。中産階級はワンランク上の生活に憧れオペラ劇場に定席を得たり子女にピアノを習わせたりすることがステータスとなり、労働者たちは生活の安定と余暇の充実に伴って娯楽として音楽を楽しむ習慣が広まり、クラシック・大衆音楽とも大幅に聴衆を増やし、現代に近い形で多くの人の生活に音楽がとりいれられるようになった[14]。こうした中で、主に都市部で盛んになった大衆音楽が、のちのポピュラー音楽に大きな影響を与えている。
社交ダンス

ヨーロッパではもともとダンスが盛んで、民俗音楽の中にも多くの踊りが見られる[15]が、そこから変化したワルツ、ワンステップなどの社交ダンスの音楽が、ギターやアコーディオンを含むバンドで演奏されるようになった[14]。ワルツは、オーストリアの山岳地方の舞曲レントラーが洗練・発展したものだが、ヨーロッパ中に熱狂的に広まり、19世紀を代表する舞曲となった。
オペレッタ[16]

18世紀にはすでにバラッド・オペラ(イギリス)、ジングシュピール(ドイツ)、オペラ・コミック(フランス)のような、民謡(または民謡風の単純な歌)を材料にした親しみやすいオペラが人気だったが、19世紀には喜劇的な内容の親しみやすいオペラがオペレッタ(軽歌劇)という名で人気を集めるようになった。オッフェンバックの「地獄のオルフェ」やスッペの「軽騎兵」やJ・シュトラウス2世の「こうもり」やレハールの「メリー・ウィドウ」などが挙げられる。
パーラー・ミュージック[13]: parlour music)

「パーラー」は「応接間」のこと。中産階級女性の間で盛んだったもので、家庭のパーラー(談話室)で家族や知り合い同士で、ピアノやギターなど家庭にあるような楽器で伴奏され歌われた。1曲1枚のシートミュージックと言う楽譜の形で販売された。
ミュージック・ホール

ミュージック・ホールとは、客が飲食を摂りながら音楽を楽しむことを目的とした施設で、パブで歌で客をもてなしたのが起源[14]。1852年、イギリス最初の専用のホールとしてロンドンに開かれたカンタベリー・ホールは、客が飲食をとるために椅子とテーブルを並べた部分と舞台とをもっており、以後、同種のホールが全国につくられた。当初は大工業都市の労働者のビア・ホールとして生まれたものだったが、19世紀後半には飲酒よりも娯楽の方が重要になり、ユーモラスで風刺的または感傷的な歌からなる演芸を提供した[17]。音楽だけでなく踊りやコントや手品、動物の芸、アクロバットなども演じられ、人気を博していた[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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