ポピュラー音楽
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PA[46]

電気録音導入以前は歌手は声が大きくなければならなかったが、マイクロフォンの導入により、声量がなくてもマイクを効果的につかって表情が出せるようになり、ビング・クロスビーなどによってソフトにささやくようにうたうクルーニング唱法(クルーンには感傷的にうたうという意味もある)が広まった。オペラのように、肉声で遠くまで響き渡らせようとすると不可能なささやくような歌い方は、現在のポピュラー曲でも多用されているが、音響・録音技術の進歩と不可分だった。やがてポピュラー音楽は実演のステージでさえも、拡声装置(Public Address)が切り離せなくなっていく。
ラジオ[47]

同じく1920年代にはラジオ映画が浸透し始め、これがポピュラー音楽を大衆に伝えるのに大きな役割を果たすことになる。ラジオは当初レコードと競合すると思われていた。しかしレコードはラジオの番組制作簡略化に貢献しただけでなく、音楽が放送されることによって、多くの新たな聞き手を獲得した。
映画[48]

映画産業は20世紀初めの小規模の映画館の林立に始まった。1915-20年には多くの映画会社がカリフォルニア州ハリウッドに移り、映画の聖地となった。映画ははじめはサイレント(音声なし)だったが、1926年にトーキー映画が発明され、映画に音をつけることが出来るようになると、まずミュージカル映画が大流行する。また歌手や演奏者の出演がレコードの売れ行きを左右することから、主題歌や挿入歌のタイアップがすすんだ。

ハリウッドの映画各社がシステム化されるにつれ、各社とも音楽担当の部署を整備し、50人近いオーケストラを抱えるようになり、映画のための音楽を担当するようになった。オーケストラによる後期ロマン派スタイルの映画音楽という形はこの頃に確立し、シンフォニック・スコアと呼ばれている。映画音楽というジャンルは、このような中から生まれてきた。
新技術の影響[47]

レコードの普及は、音楽のあり方を大きな変えた。世界各地の音楽は時間や場所をこえてより多くの聴衆に聞かれるようになり、ここまでに出てきた様々なジャンルの音楽が街にあふれ、家庭に入ってくるようになった。都市部で商業的に制作される音楽(メイン・ストリームの音楽)と地域に密着した民謡などとの分離がすすんだ。

また、レコードやラジオや映画を通じて特定の演奏者や歌手とむすびついた曲がくりかえしながれることで、音楽家がスター化していく。新しいスターをつくりだそうとする音楽産業と聞き手の好みの移り変わりを反映して、流行のサイクルやスターの寿命がちぢまった。

さらに、音楽が大量生産向けに均質化する傾向や、聞き手が受動的な消費者になる傾向も出てきた。ミリオン・セラーの現象は、流行曲を次々と出すことをレコード資本の目標にさせ、音楽産業の主導権は楽譜出版からレコードに移った。
ティン・パン・アレーの全盛期
ティン・パン・アレー

こうした中、ティン・パン・アレーは1920-30年代に全盛期を迎えた。当時のヒット曲はほとんどすべてニューヨークを本拠地とする一握りの作曲家と作詞家がつくりだしていた。ジョージ・ガーシュウィンアイラ・ガーシュウインロジャースハマースタイン、同じくロジャースとロレンツ・ハートなど、作曲家と作詞家は多くの場合コンビを組んで活動した[31]

ヴォードヴィルは1928年に人気の絶頂を迎え、1000あまりあったアメリカのヴォードヴィル劇場に、およそ200万人の観客が毎日おしよせた[30]。またチャールズ・チャップリンバスター・キートンマルクス兄弟といった、1910年代から20年代のスラップスティック・コメディの有名なスターたちは、ヴォードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入り、ヴォードヴィルの伝統を続けた[49]

ヴォードヴィルは30年代に入ると映画に押されて落ち目になるが、かわって大衆芸能の王座についたブロードウェイ・ミュージカルのほか、ダンス・オーケストラの専属歌手も、ティン・パン・アレーの歌の普及に貢献した[31]。先に挙げたロジャースやガーシュウィンも多くのミュージカルをのこしている。
スイング・ミュージック

シカゴでは「ジャズ」ではなく「スイング・ミュージック」と言う言葉を使ったベニー・グッドマンが1935年にブレイクし、スイングの時代をもたらし、これは1940年代初めまで続く。この頃の人気バンドは全て白人だった。黒人が演奏するのは下品で喧騒なジャズ、白人がやるのはスマートで健康的なスイング・ミュージックというのが、初めて陽のあたる場所へ出たジャズに対する世人の受け止め方だった[50]

ジャズはビッグバンドというトランペット・トロンボーンの金管楽器6-8名・サックス中心の木管楽器4-6名・ピアノ・ギター・ベース・ドラムなどのリズムセクション3、4名が標準的な編成となり[51]、4ビート・スイング・リフの使用・各メンバーの長大なソロなどを特徴とする[52]。ポピュラー界のミュージシャンも、ジャズメンほど自由な即興はおこなわなかったが、明らかにジャズに特徴的なリズムとメロディをとりいれ[52]、1930年代初めには、ジャズの感覚を吸収した先のビング・クロスビーがメイン・ストリームでは最高の人気を占め[53]、ポピュラー・シンガーがジャズ風の楽団を伴奏に歌うのはごくありふれたこととなった[14]。社交ダンスの音楽にもジャズの要素が大幅に取り入れられた[50]


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