アメリカのポップスは、ペリー・コモのようなクルーナー系の甘い声のポピュラー歌手が象徴的な存在だが、抽象的なロックはロックンロールのような、アフリカ系アメリカ人音楽に影響を受けたジャンルにルーツを持っている。
オースランダーならびにサイモン・フリス(Simon Frith)、グロスバーグといった数人の研究家たちは、ポップ・ミュージックは「本物でない」「シニカル」「俗受けする」「エンタテインメントのありきたりな形式」と言われることが多いが、対照的にロックは、歌手やバンドによる曲作りを重要視した「本物」「真摯」「インストゥルメンタルの名人芸」そして「聴衆とのリアルなつながり」 と言われている、と主張した[5]。
サイモン・フリスによる1950年代から1980年代までのポピュラー・ミュージックの歴史分析に、B・J・ムーア=ギルバートが異議を唱えた。ムーア=ギルバートは、フリス(や他の研究家たち)は、1960年代にフォーク志向の音楽が発達した時はそれを「フォーク・ロック」と呼び、1970年代のポップの要素を吹き込まれたスタイルを「ポップ・ロック」と呼んだように、新しいジャンルが出てくるたびにそれを「?ロック」と名付けることで、ポピュラー・ミュージックにおけるロックの役割を強調しすぎている。こうしたアプローチはロックを不公平に頂点に置き、他のどんな影響もロックの中心核に付け足したものにしてしまう、と批判した[6]。 このうちビージーズについて権威ある事典は、1970年代後期のディスコ時代を体現したイギリス=オーストラリアのポップ・ロック・バンドと定義している[10]。アリゾナ大学のサイトはコレクション2からコレクション6で何十曲も羅列しているだけで、ドナ・サマーがポップ・ロックであるとは、立証していない[11] 。 1980年、ディスコ・ブームの終焉に伴って、低迷した音楽産業が求めたのは、セールスを伸ばしてくれる商業主義的ロックであった。この70年代後半以降、アダルト・コンテンポラリーが人気だった。音楽批評家マイケル・グロスはそれを「儲け主義の綿菓子」と呼んだ。クリストファー・クロスの『セイリング』などもポップ・ロックのジャンルに加えることが可能である。『オール・アウト・オブ・ラブ』といったエア・サプライの「甘ったるいポップ・ロック」のヒットは、この時代の「チャートでヒットするための公式を最も良く例証した」[12]。
主なミュージシャン
前史
エルヴィス・プレスリー[7]
ボビー・ライデル
ファビアン
アネット
1960年代
ビートルズ[注 1]
デイヴ・クラーク・ファイヴ
ゾンビーズ[8]
トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ
アソシエイション
ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ
ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ
ハーパース・ビザール
ヴァン・ダイク・パークス
サークル
1970年代前半
ルー・クリスティ[9]
スリー・ドッグ・ナイト[注 2]
エルトン・ジョン[注 3]
ビージーズ[注 4]
マジック・ランタン[注 5]
バタースコッチ[注 6]
バッド・フィンガー
ラズベリーズ
スレイド
シールズ&クロフツ
ブレッド
10cc
エレクトリック・ライト・オーケストラ
ハリー・ニルソン
カプリコーン
エリック・カルメン
アルバート・ハモンド
ギルバート・オサリバン
ミッシェル・ポルナレフ[注 7]
1970年代後半
ジャーニー[注 8]
TOTO
スティクス
ボストン
フォリナー
ベイ・シティ・ローラーズ
クイーン
キッス
エアロスミス
イーグルス
フリートウッド・マック
ロッド・スチュアート
ビリー・ジョエル
1980年代
TOTO[注 9]
クイーン
マイケル・ジャクソン - 「今夜はビート・イット」
ジャーニー
スティクス
フォリナー
ジェネシス
ブライアン・アダムス
デフ・レパード
ボン・ジョヴィ
1990年代
エクストリーム[注 10]
ジャネット・ジャクソン - 「ブラック・キャット」
エイス・オブ・ベイス
バックストリート・ボーイズ
ハンソン
フーティー&ザ・ブロウフィッシュ