ポップ・ラップ
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また、ポップラップの歌詞はストリートのラップよりも攻撃性が低い傾向がある[4][5]。だが、1990年代に登場したアーティストの一部は、自分たち自身の分かりやすさに対する反発を和らげるため、よりアグレッシブな姿勢をポップラップに取り入れた。[4]。 音楽ジャーナリストのウィルソン・マクビー(Wilson McBee)はポップラップ・ミュージックを強く批判し、これをヒップホップ・ミュージックであるとして拒絶し、「ポップラッパーは裏切り者だ、商業的期待に応えるためにアーティストとしての信念を曲げた奴だと思われている。もっと悪いことには、そもそも最初からアーティストとしての信念がなく、ただ金儲けのためにラップの社会的・政治的伝統の価値を下げるという罪を犯した奴だ。」と語っている。さらにマクビーはこう語っている。「フロー・ライダーのような奴らにポップラッパーというレッテルを貼ることによって、「ポップラッパー」とただ単に本当に人気があるだけのラッパーの区別があいまいになっている。ヒット曲があるラッパー全員が自動的に裏切り者だというわけでも、ポップラップにタグ付けされて当然というわけでもない。」[6]1990年代のキャッチーなフックを持ったラッパーの一部はポップ・ミュージックと比較されてきたが、マクビーは以下のようにも語っている。

「1994年にクーリオの「ファンタスティク・ヴォヤージ」とノトーリアス・B.I.G.の「Big Poppa」の両方が大ヒットした。どちらの曲もイカしたシンセ主体な作りで、キャッチーなフックとパーティーについて歌ったリリックが特徴だ。だが、この2曲は全然違うもので、きょうだいとはとても言えない。クーリオの不格好な歌詞には、中間韻やおもしろいメタファーや詩的なバリエーションがほとんど全然ない。イメージはくたびれて、あいまいで、聞き慣れたものだ。「We’re going to a place where everybody kick it/ Kick it, kick it . . . yeah that’s the ticket.(誰もが楽しくやってるところに行くぜ 力抜いてさ そうさ、それがチケットだ)」。これをビギーのこのビビッドな歌詞と比べてみればいい。「So we can steam on the way to the telly, go fill my belly / A T-bone steak, cheese eggs and Welch’s grape(ホテルに着くまで吸ってよ 腹満たしに行くぜ  / Tボーンステーキにチーズエッグにウェルチのグレープ)」。「Big Poppa」のメロディーやビートはポップかもしれないが、それでもなお優れた作詞家でありストーリーテラーであるアーティストの作品なのだ。[6]

ポップラップの歌詞の内容は、愛や恋愛関係など、ポップ・ミュージックのテーマと似たものが多い[6]
歴史
起源(1980年代後半と1990年代)ヴァニラ・アイスと共演するM.C.ハマー、2009年7月。いずれもラップをキャッチーなフックとブレンドした初期のポップラップアーティストと言われている。

1980年代にRun-D.M.C.ビースティ・ボーイズLL・クール・Jを含むラップアーティストたちが突如メインストリームになったことがポップラップの土台や起源となった[4][5]LL・クール・Jは1985年のデビューアルバム『レイディオ』で頭角を現した歴史上最初の「ポップラッパー」とされている。MTVはLL・クール・Jの1987年のシングル「I Need Love」を「最初のポップとラップのクロスオーバー・ヒット」だと表現している[7]。その後、トーン・ロック(英語: Tone_Loc)、ヤングMCザ・フレッシュ・プリンスなどのラップアーティストたちが、圧倒的人気を獲得する中で、パーティーチューンやストーリーテリング能力に溢れた曲を作っていった。1990年代には、ポップラップはヒップホップ・ミュージックとしても拡大し始め、さらにダンス・ミュージックリズム・アンド・ブルースとの結びつきも強くなり始めた[4][5]

1990年代前半にM.C.ハマーヴァニラ・アイスがそれぞれ「U Can't Touch This」と「Ice Ice Baby」でメインストリームに進出した[8]。1990年代には、M.C.ハマーなどのスマッシュヒットを飛ばしたラッパーのためにポップラップが有名なヒット曲から「進んで借用しているとしてバカにされる(さらに時には裁判沙汰になる)」ようになった[4]。1990年代の終わりから200年初頭までにはジャ・ルールのようなラッパーがギャングスタ・ラップのテーマを1980年代のポップやソウルのエレメントと融合し、多くのアーティストたちがポップラップシーンを占拠した[4]
メインストリームでの成功(21世紀)
2000年代

2000年代前半に、ポップラップはまったく異なるスタイルで復活した[要出典]。そして、アルバム『エレファンク(Elephunk)』からのシングル曲「ホエア・イズ・ザ・ラヴ?(Where Is The Love)」など数々のスマッシュ・ヒットを飛ばしたブラック・アイド・ピーズの成功によりメインストリームに戻った[1]。 同アルバムはアルバムチャートであるビルボード200で14位を獲得し、アメリカレコード協会(RIAA)からダブル・プラチナに認定され、全世界で900万枚以上を売り上げており、そのうちアメリカだけでは320万枚の売上を記録している[9]。2000年代後半には、ドレイクウィル・アイ・アムニッキー・ミナージュウィズ・カリファなど、多くのアーティストがポップラップ・シーンに登場した[6][10]


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