ポップ・ラップ
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「So we can steam on the way to the telly, go fill my belly / A T-bone steak, cheese eggs and Welch’s grape(ホテルに着くまで吸ってよ 腹満たしに行くぜ  / Tボーンステーキにチーズエッグにウェルチのグレープ)」。「Big Poppa」のメロディーやビートはポップかもしれないが、それでもなお優れた作詞家でありストーリーテラーであるアーティストの作品なのだ。[6]

ポップラップの歌詞の内容は、愛や恋愛関係など、ポップ・ミュージックのテーマと似たものが多い[6]
歴史
起源(1980年代後半と1990年代)ヴァニラ・アイスと共演するM.C.ハマー、2009年7月。いずれもラップをキャッチーなフックとブレンドした初期のポップラップアーティストと言われている。

1980年代にRun-D.M.C.ビースティ・ボーイズLL・クール・Jを含むラップアーティストたちが突如メインストリームになったことがポップラップの土台や起源となった[4][5]LL・クール・Jは1985年のデビューアルバム『レイディオ』で頭角を現した歴史上最初の「ポップラッパー」とされている。MTVはLL・クール・Jの1987年のシングル「I Need Love」を「最初のポップとラップのクロスオーバー・ヒット」だと表現している[7]。その後、トーン・ロック(英語: Tone_Loc)、ヤングMCザ・フレッシュ・プリンスなどのラップアーティストたちが、圧倒的人気を獲得する中で、パーティーチューンやストーリーテリング能力に溢れた曲を作っていった。1990年代には、ポップラップはヒップホップ・ミュージックとしても拡大し始め、さらにダンス・ミュージックリズム・アンド・ブルースとの結びつきも強くなり始めた[4][5]

1990年代前半にM.C.ハマーヴァニラ・アイスがそれぞれ「U Can't Touch This」と「Ice Ice Baby」でメインストリームに進出した[8]。1990年代には、M.C.ハマーなどのスマッシュヒットを飛ばしたラッパーのためにポップラップが有名なヒット曲から「進んで借用しているとしてバカにされる(さらに時には裁判沙汰になる)」ようになった[4]。1990年代の終わりから200年初頭までにはジャ・ルールのようなラッパーがギャングスタ・ラップのテーマを1980年代のポップやソウルのエレメントと融合し、多くのアーティストたちがポップラップシーンを占拠した[4]
メインストリームでの成功(21世紀)
2000年代

2000年代前半に、ポップラップはまったく異なるスタイルで復活した[要出典]。そして、アルバム『エレファンク(Elephunk)』からのシングル曲「ホエア・イズ・ザ・ラヴ?(Where Is The Love)」など数々のスマッシュ・ヒットを飛ばしたブラック・アイド・ピーズの成功によりメインストリームに戻った[1]。 同アルバムはアルバムチャートであるビルボード200で14位を獲得し、アメリカレコード協会(RIAA)からダブル・プラチナに認定され、全世界で900万枚以上を売り上げており、そのうちアメリカだけでは320万枚の売上を記録している[9]。2000年代後半には、ドレイクウィル・アイ・アムニッキー・ミナージュウィズ・カリファなど、多くのアーティストがポップラップ・シーンに登場した[6][10]。たとえば、ドレイクのアルバム『Take Care(テイク・ケア)』はトップ40で首位を獲得している。さらに、EP『So Far Gone(ソー・ファー・ゴーン)』は73,000枚を売り上げてビルボード200で最高6位を記録した[11]。第2週には売上36,000枚で9位に落ち、売上枚数は合計で109,000枚となった[12]。『So Far Gone(ソー・ファー・ゴーン)』はEPであるにもかかわらず、2009年に最も売れたラップ・レコードランキングで5位になった[13]。2012年2月現在、同EPはアメリカで639,000枚売れている[14]。同EPは売上が500,000枚を超えたとして2010年7月4日にRIAAからゴールドの認定を受けた[15]。ドレイクのシングル「I'm Goin' In」は同EP発売1週間後にチャートインし最高位40位を記録した。その後同シングルは同EPからのサードシングルとして2009年10月27日にアーバンコンテンポラリーのラジオ局に送付され[16]、17週にわたってビルボード・Hot 100入りを果たした[17]
2010年代2011年にバン・Bのコンサートで演奏するラッパーのドレイク。ドレイクはR&Bやラップ、ポップの要素を組み合わせた音楽で有名。

ドレイクの2010年に発表されたデビューアルバム『Thank Me Later(サンク・ミー・レイター)』は同年年末のチャートで最高16位を記録した[18]。同アルバムはその後アメリカで大ヒット。初週に447,000枚を売り上げて全米ビルボード200で初登場1位を記録し[19]2010年のアメリカの初週売上で第3位を達成した[20]。ビルボードのR&B/ヒップポップアルバムおよびラップアルバムのチャートでも1位になった[21][22]。第2週には全米ビルボード200の第2位に落ち、売上は157,000枚だった[23]。第3週は2位にとどまり105,000枚を売り上げた[24]。第4週には順位を維持したまま74,000枚を売り上げた[25]。2011年1月9日までに同アルバムはアメリカで127万9,500枚を売り上げている[26]。2012年2月現在、同アルバムはアメリカで155万1,000枚を売り上げている[27]。同アルバムはアメリカでプラチナ認定を受けている[28]

ニッキー・ミナージュもアルバム『Pink Friday』でメインストリームに進出し、同アルバムは発売1ヶ月後にアメリカレコード協会からプラチナに認定された[29][30]。2011年1月29日、ニッキー・ミナージュはサタデー・ナイト・ライブにゲストとして登場し、「Right Thru Me」と「Moment 4 Life」をパフォーマンスした。2011年2月9日には『Pink Friday』がチャートイン11週目で全米ビルボード200で1位に到達した[31]

8月、ニッキー・ミナージュは、デビューアルバムからの最初の正式なシングルとして「Your Love」をリリースした。同シングルはビルボード・Hot 100で最高14位、R&B/ヒップポップソングチャートで最高7位を記録し、ラップソングチャートでは首位を獲得した。ニッキー・ミナージュはMTVの「今年最も熱かったMCたちリスト(Annual Hottest MC List)」に掲載された最初の女性アーティストになり、単独でチャートの1位になった女性アーティストとしては2002年以来初めてになった[32][33]。2010年10月、ニッキー・ミナージュは7曲が同時にビルボード・Hot 100入りした最初の女性ソロアーティストになった[34]。2010年9月には2枚のシングルをリリース。そのうち1枚はブラック・アイド・ピーズのフロントマンwill.i.amとの共同シングルで「Check It Out」、そしてもう1枚は「Right Thru Me」だった。両曲のミュージックビデオは10月末にリリースされた。「Right Thru Me」はドレイクをフィーチャリングに迎えて2010年12月7日に4枚目のシングルとしてリリースされ、ビルボード ホット100で好成績を残した。最高順位はホットラップソングで第5位[35]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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