MTVがマイケル・ジャクソンやマドンナをポップスターへ導くと共に、マイケル・ジャクソンやマドンナがMTVの普及に貢献した[文献 10][文献 11][注 1][5]。
ポップ・ミュージックはほとんどの他ジャンルに影響され要素を吸収しており、初期のポップ・ミュージックは主にバラードでゴスペルやソウルミュージックからボーカルのハーモニーの使用を取り入れ、楽器の演奏法はジャズ、カントリー、ロックから奏法を取り入れ、編曲をクラシック音楽から取り入れ、その他ダンスミュージック、電子音楽、ヒップホップ、ラップの要素を取り入れている[文献 2]。
技術革新がポップ・ミュージックにもたらした影響として、1940年代にマイクロフォンの機能が改善された事により様々な歌唱法を用いる事が可能となり、その10 - 20年後には安価で耐久性のあるシングル盤(45rpm)レコードが普及したことで革命的にポップ・ミュージックが広まっていく事となった[6]。
また、1950年代にはテレビが普及した事で、テレビに出演するポップスターはその容貌の良さを求められる様になり[6]、1960年代には安価なポータブルトランジスタラジオや[6]、マルチトラック・レコーダー(MTR)が普及し、1980年代にはサンプリングが導入される[文献 2]。1980年代初頭にはMTVなどの音楽専門チャンネルが台頭し、マイケル・ジャクソンやマドンナなどのアーティストによるポップ・ミュージックの普及に大きな影響を与える[6]。象徴的な楽曲としてバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」があり、MTVで最初に放送されたミュージック・ビデオでもある[5]。1985年にa-haが発表した楽曲「テイク・オン・ミー」は、特殊効果を用いたアニメーションによるミュージック・ビデオが評判となる[5]。
ポップ・ミュージックはアメリカとイギリス(1960年代半ばから)の音楽産業が強い影響力を持っていた事により、国際的にモノカルチャー的な影響を与えた。一方でほとんどの地域や国は、独自のポップ・ミュージックの形式を持っており、それぞれの地域や国の特性が反映された形で生成される[文献 12]。それらのローカルな特性もまた新たなジャンルの開発を導くなどした(例:ユーロポップ)[文献 13]。また、日本などの非欧米諸国でもポップ・ミュージックの音楽産業が繁栄[7]。