芸術については、インターメディア(英語版)、インスタレーションアート、コンセプチュアルアート、マルチメディアなどアヴァンギャルドなものが、ポストモダン芸術と呼ばれる。
ダンスではポスト・モダンダンスと呼ばれるものがある。 フランスを中心に興った思想で、多かれ少なかれドイツ圏のニーチェ、フロイト、ハイデッガーらの思想を源泉とし、近代的な「主体」概念に対して構造主義によって提起された批判が背景にある。構造主義以後に構造主義を批判しつつ継承して出てきた思想傾向をポスト構造主義と呼ぶが、ポストモダニズムはポスト構造主義を下位概念として含む[3]。吉本隆明は「マルクス主義の最終形態」と表現している[4]。 フランス現代思想の文脈では、サルトルは、その著書『弁証法的理性批判』(1960年)において、実存主義をマルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論を再構成し、ヘーゲル‐マルクス的な歴史主義とデカルト‐フッサール的な人間主義との統合を主張していた時代であったが、構造主義は、無意識的・潜在的な構造的規定要因によって主体そのものやその判断およびその可能な選択肢が構成され、あるいは少なくとも制約されているとして、マルクスの上部構造/下部構造、生産力/生産関係といった構造的な諸概念が実体化されていること、また、デカルト - フッサール的な近代的な主体を思想の前提として実体視していることを批判していた[5]。 構造主義の祖とされるソシュール自身は構造という用語を用いておらず、自身の理論を言語学以外の分野に拡張することにも慎重であったが、クロード・レヴィ=ストロースは、これを人類学に応用し、近代的な知と異なる野生の思考があることを示したのであった。サルトルの実存主義は、レヴィ=ストロースとの論争を通じて急速に衰退し、構造主義が勃興していった。構造主義によれば、現象の背後にある構造を分析することによって、あるシステムの内的文法をとりだすことができ、各システムはそれにしたがって作用する。そこでは、あらゆるものが予想可能になり、偶然性や創造性といったものが排除されてしまうのである。いわゆるポスト構造主義の論者とされる者たちは、構造主義のもつ、構造を静的で普遍的なものとし、差異を排除する傾向に対して、それは西洋中心のロゴス中心主義であるとして異議を申し立てたのである。 そのような状況下において、『ポスト・モダンの条件』(1979年)を著したリオタールによれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。例えばマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、“ポストモダン”とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。 このような文脈における大きな物語、近代=モダンに特有の、あるいは少なくともそこにおいて顕著なものとなったものとして批判的に俎上に挙げられたものとしては、自立的な理性的主体という理念、整合的で網羅的な体系性、その等質的な還元主義的な要素、道具的理性による世界の抽象的な客体化、中心・周縁といった一面的な階層化など、合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考を中心としつつも、重点は論者によってさまざまであった。したがって、ポスト・モダニズムの内容も論者や文脈によってそうとう異なり、明確な定義はないといってよいが、それは近代的な主体を可能とした知、理性、ロゴスといった西洋に伝統的な概念に対する異議を含む、懐疑主義的、反基礎づけ主義的な思想ないし政治的運動というおおまかな特徴をもつということができる[6]。 “ポストモダニスト”と言っても、人が自らを指して“ポストモダニスト”だ、と言っているのではないことに注意する必要がある。あくまで一部の評論家が“ポストモダニスト”と形容しただけのことである。 それでも参考までに“ポストモダニスト”を挙げるならば以下のようになる可能性はある。 この人々のなかで自らの概念として「ポストモダン」を引き受けたのはリオタールだけである。フーコーやドゥルーズなどは、この言葉に強い嫌悪を表明した。 社会学では、ポストモダン哲学の影響を強く受け、従来の部分/全体の二元論的発想、近代的自我に根ざした社会分析を離れつつも、難渋かつ抽象的な哲学論議に深入りすることなく、「主体と客体の脱中心化」のテーマに則った経験的記述の方法論が彫琢されている。 代表的には、「アクターネットワーク理論」のブルーノ・ラトゥール、「移動と場所の社会学」のジョン・アーリ、「非表象理論」のナイジェル・スリフト
哲学・思想
様々な“ポストモダニスト”
デリダ、ラクー=ラバルト、ナンシー等を中心とする、脱構築を主とするデリディアン。
ランシエール、バディウ、バリバール等を中心とする、アルチュセールに強く影響を受けたアルチュセリアン。
フーコー、アガンベン、バトラー等の、生政治の歴史的展開の研究や、クィア理論、ジェンダーから現代批判を行なうフカルディアン。
ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ等の近代的社会=経済システムに最も強い批判を投げかけるドゥルージアン。
他にロラン・バルトやバフチンらを経由しているクリステヴァ、ラカンの影響下にあるジジェク、ネオプラグマティズムのローティ、メディアに対する鋭い批判をなげかけるボードリヤール、キリスト教哲学の分野でジャン=リュック・マリオンなどがいる。
文学「ポストモダン文学」を参照
社会学
日本ではバブル時代に流行し、当時の社会を讃えるナルシスティックな言説にしばしばポストモダンの論法が引用された。平成ポストモダン論の中心人物であった東浩紀も2001年に『動物化するポストモダン』において楽観的な未来予想図を表明していたが、その予測が裏切られたことは東自身認めており、平成という時代に何もかも裏切られたと語っている[7][8]。 法学では、ポストモダン哲学の影響を受けて、懐疑主義的なポストモダン法学がある。そこでは、従来の法学ではその前提を疑われることはほとんどなかった、法の中立性や自由にも重大な疑問が向けられる。
法学
批判