ボーイング
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当時の飛行機は複葉帆布張り固定脚であったが、247は全金属製・低翼・単葉・引き込み脚を採用し巡航速度300km/h以上を発揮し、アメリカの航空会社は競って導入した。1929年にはエンジンメーカープラット・アンド・ホイットニーなどと共に航空機の製造から運航までの全てを手がける巨大企業ユナイテッド・エアクラフト・アンド・トランスポートを設立した。

しかし、タイプ247の天下は長く続かず、1935年に開発されたより大型・高速のダグラス DC-3に取って代わられた。また、1934年独占禁止法の適用を受けたため、エンジン製造部門や航空輸送部門は分離され、それぞれがユナイテッド・テクノロジーズユナイテッド航空となった。

この後1950年代まで、世界で最初に与圧室を装備したボーイング307(初飛行1938年)等意欲的な新型旅客機を数々生産するが、商業的には大きな成功は得られない状況が続いた。軍用機分野では1936年に自社開発した4発大型爆撃機であるモデル299 B-17が陸軍航空隊に採用された。この機は爆撃機としての性能は素晴らしかったが、あまりに大型かつ高価であったため当初の発注数は少数にとどまった。
第二次世界大戦モデル75の海軍向け仕様のN2S

1939年ステアマン・エアクラフトを買収。同社が開発を進めていた複葉機をボーイング・ステアマン モデル75として完成させた。1941年にアメリカが第二次世界大戦へ参戦したことで需要が急増し、アメリカ陸軍航空軍(PT-13)とアメリカ海軍(N2S)の初等練習機として10000機以上を納品した。

参戦後は従来主力爆撃機とされていた双発機の能力では不十分であることが判明し、B-17がヨーロッパ戦線における米軍の主力爆撃機として大量に生産・運用された。大量の爆弾を搭載し、長距離を移動できる大型爆撃機は、B-17によって戦略爆撃機の確固たる地位を築いた。そしてボーイング社は、B-17で大型爆撃機メーカーとして名を馳せた。続いて当時の「超」大型爆撃機であるモデル345 B-29 スーパーフォートレスは、他企業の工場まで稼動させるほどの大量生産を行い、長距離侵攻能力を生かして日本本土への戦略爆撃に使用された(→日本本土空襲参照)。また、エノラ・ゲイボックスカーの2機により世界で唯一、実戦で広島長崎原子爆弾を投下した機種となった。
第二次世界大戦後

軍用機部門では、大型爆撃機メーカーとして後退翼ジェット爆撃機モデル450 B-47 ストラトジェット(初飛行1947年)と後継機モデル464 B-52 ストラトフォートレス(初飛行1952年)を開発生産した。

民間機部門は中大型の旅客機に注力し、B-29の主翼尾翼を流用した豪華旅客機ボーイング377 ストラトクルーザー1947年に開発したが、経済性でライバルに劣り、購入されたのは僅か56機であった。
大型ジェット機の開発367-80

当時、旅客機の主流はレシプロエンジンであり、ジェット機の採用には航空会社も消極的であったが、ボーイング社は早晩ジェットエンジン装備の本格的旅客機の需要が高まると予測し、1952年に自社資金1600万ドルを投じて開発の開始が決定された。当時、アメリカ空軍では前述のB-47、B-52のほかにもコンベアB-58 ハスラーが開発中であり、後にXB-70超音速爆撃機の計画も進んでおり、これらボマーフリートが縦横に活躍するためには、当時の主力空中給油機であるKB-29/KB-50/KC-97といったB-29をベースとする改造機では性能不足、数量不足になることが明白であり、1953年にはアメリカ空軍より「800機のジェット給油機が必要になる」との見通しも発表されていた。

ボーイングはこの機体をジェット機であることを隠蔽するため、開発中はC-97(モデル367)の改良であると装った。これの80番目の設計案すなわち「ダッシュ80」が採用され、試作機の製作に取り掛かった。ダッシュ80(367-80)は1954年5月にロールアウトし、同年7月に初飛行したが、アメリカ空軍は同じ年の5月に、新型ジェット空中給油/輸送機の要求仕様を発表していた。ここでライバルに圧倒的優位に立っていたボーイングの案は、8月にモデル717 KC-135 ストラトタンカーとして採用が決定し、10月に最初の生産型29機を受注している。

367-80を元に旅客機として再設計した民間型ボーイング707の最初の発注はパンアメリカン航空より1955年に行われ、以後従来のレシプロ旅客機の2倍の速度で2倍の旅客数(150-200人)を運ぶことができる革新的な機体であり、またボーイング初のジェット旅客機となった。旅客機のほか早期警戒管制機E-3 セントリーなどのベースともなった。

軍用型、民間型ともに始祖となる試作機ダッシュ80は、1972年スミソニアン航空宇宙博物館に寄贈されていたが、1990年にボーイングに送り返され、飛行可能な状態にレストアされた。
旅客機の雄

ボーイング707は高速を生かして長距離国際線用に使用され、一般人の海外旅行をより容易にすることに役立った。


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