1960年代から施設の老朽化と主産業の構造不況によって中心地から人口が流出し、スラム街が発展し、治安の悪化が進んだ。そこで市は30年にもわたる再開発計画を実施、これはウォーターフロント開発の先駆ともいわれている。とりわけインナーハーバーの一新を図り、工業、貿易とともに多数のレジャー施設を建設した。インナーハーバーには大型ショッピングセンターや全米屈指のボルチモア国立水族館、海洋博物館などがあり、活況を呈している。一方、肝心の中心地の空洞化は依然として深刻で、治安改善はさほど進んでいない。
2015年には合計344件の殺人事件が記録されており、この数字は最も多かった1993年の記録に次ぐ数字となっている他、2016年から2022年までの6年の間にはそれぞれ318件、342件、309件、348件、335件、338件、335件の殺人事件が発生した。
2019年7月にドナルド・トランプ大統領は、「(ボルチモアは)全米一危険で、どんな人間も住みたがらない」と批判した。これはボルチモアを地盤とするトランプ批判の急先鋒であるイライジャ・カミングス下院議員を罵倒する中の発言であったが、市の黒人の人口比率が50パーセントを超え、犯罪率も全米3位の高さを見せていた背景もあり、人種差別であるとして物議を醸すこととなった[2][3]。
2023年2月6日まで、男女2人が共謀罪で訴追された。容疑は変電所を襲撃して送電線網を麻痺させ、ボルチモア市を「完全破壊」する計画を企てていたもの。男はネオナチ団体のリーダーだったと見られている[4]。
2023年7月2日、地域住民らが野外パーティーを開いていたところに何者かが銃撃を加え、2人が死亡、28人が負傷した[5]。
地理(英語版
アメリカ合衆国統計局によると、この都市は総面積238.5km2(92.1mi2)である。このうち209.3km2(80.8mi2)が陸地で29.2km2(11.3mi2)が水地域である。総面積の12.240%が水地域となっている。 ボルチモア市 1790年 - 13,503人
ボルチモア港に架かっていたフランシス・スコット・キー橋。2024年3月26日に崩落した。
ワシントン・モニュメント
チェサピーク号が展示されているボルチモア国立水族館。同館は全米でも屈指の規模を誇る水族館である。
人口動勢
年代別人口 ⇒[1]
1800年 - 26,514人
1810年 - 46,555人
1820年 - 62,738人
1830年 - 80,620人
1840年 - 102,313人
1850年 - 169,054人
1860年 - 212,418人
1870年 - 267,354人
1880年 - 332,313人
1890年 - 434,439人
1900年 - 508,957人
1910年 - 558,485人
1920年 - 733,826人
1930年 - 804,874人
1940年 - 859,100人
1950年 - 949,708人
1960年 - 939,024人
1970年 - 905,759人
1980年 - 786,775人
1990年 - 736,014人
2000年 - 651,154人