ボリシェビキ、ボルシェヴィキ、ボルシェビキとも呼称され、第二次世界大戦前の日本国内における刊行物等の資料では、ボルシエヴィキー、ボルシエヴィキなどの表記が用いられている。単数形はボリシェヴィク(большеви?к)。 1917年の十月革命以前から活動していた者は特にオールド・ボリシェヴィキと呼ばれる。ボリシェヴィキはメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴は、そのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた。 なおドイツではボルシェヴィズムス(Bolschewismus)は第一義的にロシアの共産主義者を指し、帝政ドイツからナチス時代には、ドイツの社会民主主義よりさらに急進的な「過激派」という意味でも用いられた[3]。 ロシア革命時には「パン・土地・平和」をスローガンとして掲げた。平和を求める大衆の意見を尊重すべきとのトロツキーの意見が反映されている。 ボリシェヴィキの思想的、政治的立場はボリシェビズム(ボリシェヴィズム)[4]、またはボルシェビズム(ボルシェヴィズム)と呼ばれ[5][6]、正確には異なるものであるが、広義においては共産主義やマルクス主義、レーニン主義と同義として扱われることがある[5][7]。 もともとはロシア社会民主労働党左派の思想で、ドイツ社会民主党のような大衆政党を目指していたメンシェヴィキに対し、組織原則として少数精鋭主義的な職業革命家を中心とする中央集権型前衛党の指導のもとでの革命的な闘争によってプロレタリア独裁を目指し、労農同盟を打ち出してマルクス主義をロシアに適用させようとした[5][6]。また、メンシェヴィキがロシアの革命はブルジョア革命であるとしたのに対して、ボリシェヴィキはブルジョア革命からプロレタリア革命への連続転化の理論を主張、ソビエト連邦に指導されるボリシェヴィズムはコミンテルンを中心にロシア型の運動論、組織論を展開する[5]。 遡って見た場合、ボリシェヴィキの思想的位置付けは、1860年代にロシアで活動したインテリゲンツィアの傾向である、唯物論的、功利主義的、実証主義的思考を基礎とした実践重視の価値観を源流に持つとされる[8]。 なお、日本では、ロシア革命時に主導権を握ったレーニンらのボリシェヴィキを過激派と和訳した。 学生運動において、自らをボルシェヴィキと称した者がいた。
概説
思想詳細は「ボリシェビズム (思想)」を参照
その他の用法
脚注[脚注の使い方]^ 三訂版, 旺文社世界史事典. “ボリシェヴィキとは
^ 下斗米伸夫『図説 ソ連の歴史』河出書房新社、2011年, p. 20
^ 現代独和辞典 三修社
^ デジタル大辞泉
^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年9月15日閲覧。
^ a b 大辞林 第三版 コトバンク. 2018年9月15日閲覧。
^ 世界大百科事典 第2版 コトバンク. 2018年9月15日閲覧。
^ 松原広志 著「2章4」、藤本和貴夫 松原広志 編『ロシア近現代史 ピョートル大帝から現代まで』ミネルヴァ書房、1999年、121頁。