ボランティア
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また、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の研究者は、ボランティア活動などの親社会的な活動は、魅力を高めるのに有効であると推奨している[25]超高齢社会に向かいつつある社会背景の中で、アメリカ合衆国では定年退職者や高齢者の社会参加の一環として、若者開発途上国でのボランティアを平和部隊として組織した先例に倣って、高齢者が学校や障害者、引きこもりの児童などに社会的なボランティアを展開するのをアメリコー(AmeriCorps、アメリカ部隊)と名づけて、アメリカ合衆国連邦政府から経済支援を与えることにした。

アメリカ合衆国では、州によって高校生・大学生の時期に、5,000時間ほどボランティアに従事すると、就職のためのキャリア形成につながるというシステムがある。ボランティアを募集する機関と、ボランティアをしたことを認定する機関や認定資格者が制度的に確立し、一定の活動条件を満たした場合には本人にボランティア認定証が発行される。
ロシア

ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップのボランティアの活躍でロシアの印象が前後で一変したと評価されている。現地取材した記者は頼りになるボランティアスタッフの存在の大きさを指摘している。大学生を中心としたロシアのボランティアスタッフがスムーズな英語を話せたこと、スタジアムだけでなく鉄道駅空港繁華街などでの積極的なサービスが印象的だったと述べている[26]
日本

「ボランティア」「NPO」は、2002年1月18日株式会社角川グループホールディングス(当時は、株式会社角川書店)が商標登録出願、2003年4月25日に登録されたが、2005年5月10日に商標登録を取消されている。2012年に厚生労働省が日本国内のボランティア活動者を対象として実施した調べでは、最大のボランティア人材源となっているのは主婦層および高齢者層である[27]

1995年阪神・淡路大震災では、全国から大勢のボランティアが被災地に駆けつけたことから、「ボランティア元年」とも呼ばれる。震災が起きた1月17日を「防災とボランティアの日」としている。東日本大震災で罹災した男性が、返しとして災害ボランティア活動に参加するようになり、熊本地震西日本豪雨北海道胆振東部地震の復興に助力している。このように、被災した過去のある人々が返しとして、他の被災地でボランティア活動や支援活動に参加する動きが、日本に広がっている[28][29][30][31][32][33][34][35][36][37][38][39][40][41][42]

災害ボランティアの概数[43]災害人数集計期間
阪神淡路大震災138万人1995年1月 - 96年1月
新潟県中越地震008万人2004年10月23日 - 05年3月31日
新潟県中越沖地震003万人2007年7月 - 12月
東日本大震災102万人2011年3月 - 12年3月
広島土砂災害004万人2014年8月 - 12月

観光客的ボランティアへの批判

兵庫県西宮市今村岳司市議会議員(当時)は、阪神・淡路大震災での被災体験を振り返り「ボランティアは、被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、被災者が寝るべきところで寝(た)」と述べ、当時のボランティアのことを「観光気分で来た自分探し」「ただの野次馬観光客」「人から感謝されることを楽しみにやってきただけ」等とし、「要はプロに任せること」「被災地に必要なのは、プロだけ」であり[44]、「部隊の指揮下で日本のために自分を犠牲にできる人だけが、「ボランティア=義勇兵」として現地入りすべき」だと指摘した[45]
インフラ復旧前時点でのボランティア問題

2024年1月の震災による道路崩落や海岸地盤隆起で現地入りルートが限られている能登地域のような地域では、道路が復旧していない際に自衛隊などプロ支援組織以外が集まると渋滞の原因になる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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