ボヘミアン・ラプソディ
[Wikipedia|▼Menu]

グッド・カンパニー
(B-3)ボヘミアン・ラプソディ
(B-4)ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン
(B-5)

ミュージックビデオ
「Bohemian Rhapsody」 - YouTube

テンプレートを表示

「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)は、イギリスロックバンドクイーンの楽曲。1975年に発売された4作目のオリジナル・アルバムオペラ座の夜』に収録。同年10月31日に先行シングルとして発売された。作詞作曲はフレディ・マーキュリー

全英シングルチャートで9週にわたって第1位を獲得し、1976年1月末までに100万枚以上の売上を記録した[6]。1991年のマーキュリーの死後に再発売され、5週連続で1位を獲得し[7]、イギリスで3番目に売上枚数が多いシングルとなった[8]。同時に同一のアーティスト、同一の楽曲が2度全英シングルチャートで第1位を獲得した唯一の例ともなった[9]
背景・曲の構成レコーディングのトラックシート(複製)

マーキュリーの友人であるクリス・スミスによると、マーキュリーは1960年代後半に本楽曲を書き始めたという。マーキュリーが当時書いていた楽曲の1つ「ザ・カウボーイ・ソング」(The Cowboy Song)の歌詞には、本楽曲のフレーズでもある「Mama, just killed a man(ママ、たった今僕は人を殺した)」というフレーズが含まれていた[10]ブライアン・メイは、「ザ・カウボーイ・ソング」を初めて聴いたときのことについて、フレディが、彼の父親の仕事場から拝借したポストイットのような大量の紙の切れ端を持ち込んで、ピアノを弾き始めたのを覚えています彼はまるでドラムを叩くかのようにその曲をピアノを弾いていて、それは彼自身が説明していたオペラのようなものからまるでかけ離れていた。彼の頭の中でハーモニーが展開されていたのでしょうと語っている[11]

1974年のイギリスの航空会社ブリティッシュ・ミッドランドのメモ用紙に書かれた、マーキュリーによる歌詞の走り書きでは「モンゴリアン・ラプソディ」と書かれたうえに取り消し線が引かれ「ボヘミアン・ラプソディ」に変更されている[12]

1975年半ば、リッジファーム・スタジオで1か月にわたるリハーサルを行い[13]ヘレフォードシャーのペンロス・コートでの3週間のリハーサルを経て、1975年8月24日にロックフィールド・スタジオでレコーディングを開始した。レコーディングには24トラックのアナログテープが使用された[14]。レコーディングでマーキュリーが使用したピアノは、かつてポール・マッカートニービートルズの「ヘイ・ジュード」のレコーディングで使用したもの[15]

5月に、1日10?12時間ほどでボーカルパートのレコーディングを行ったという[16]。楽曲全体のレコーディングには3週間費やされ、一部のセクションでは180トラック分のオーバーダビングが施された[17]。ボーカルパートのオーバーダビングにあたっては、マーキュリー、メイ、ロジャー・テイラーの3人で160トラック分施され、メイは繰り返しテープを回していたから、テープは擦り切れていきましたテープを照明に当ててみると、向こうが透けて見えたほどです。音楽もほとんど消えかかっていた。フレディがもう少し”ガリレオ”を足そうというたび、代わりに何かが消えていったんですと振り返っている[14][18]
プロモーション・ビデオ

世界初と言われる[19]プロモーションビデオは、序盤と終盤は演奏シーンで、冒頭と中盤のオペラ部分ではメンバーが2ndアルバム『クイーンII』のジャケットを思わせる暗闇の中で歌うというミステリアスな世界観が描き出されている。このプロモーションビデオは音楽界に衝撃を与え、多くのパロディ作品が作成された。メンバーが暗闇の中で並んでいるシーンはクイーンの代名詞的な存在となり、「RADIO GA GA」や「ワン・ヴィジョン」などの楽曲のプロモーションビデオの一部にも登場している。

後述のとおり、2019年にYouTubeでのミュージックビデオの再生回数が10億回を突破し、それを記念してミュージックビデオがHD画質にリマスタリングされた[20]
リリース

クイーンが本楽曲のシングルカットを計画していた際、レコード会社は当時のシングルの演奏時間が3分程度であることから、「5分55秒では長すぎてヒットしないだろう」と否定的であった。しかし、メンバーは「シングルカットするべきだ」と主張[14]。そこで、バンドはマーキュリーの友人でキャピトル・ラジオのケニー・エヴェレットと共に、曲の一部だけを放送してリスナーに興味を持たせ、その後2日間で14回も本作をエアプレイした。これにより、本楽曲のヒットに繋がることとなった[21][14]

1975年10月31日に未編集のシングルが発売され、B面には本楽曲と同じく『オペラ座の夜』からのリカットで、ロジャー・テイラー作の「アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー」が収録された。シングル盤は全英シングルチャートで9週にわたって第1位を獲得した[22]。1991年のマーキュリーの死後、「輝ける日々」との両A面シングルとして再発売され、5週連続で第1位を獲得し、同じバージョンの楽曲が全英シングルチャートで2回も第1位を獲得した初の例となった[23]アメリカでは、1975年に発売されたシングルがBillboard Hot 100で最高位9位を獲得し[24]アメリカレコード協会からゴールド認定を受けた[25]

2002年にはギネスブックを発行しているギネス・ワールド・レコーズ社が行った「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートの結果、2位の「イマジン」(ジョン・レノン)を抑えて1位になり[26]、授賞式にはメイとテイラーが出席した。

その後、2004年にはグラミー殿堂賞を受賞[27]し、2018年にはYouTubeSpotifyなどのストリーミングサービスでの再生回数が16億回に到達し、20世紀に発表された楽曲の中で全世界で最もストリーミング再生された楽曲となった[28][29]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:235 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef