1957年、ドリス・デイ主演の『パジャマゲーム』映画版の振付を行なった。翌年、『くたばれ!ヤンキース』映画版に出演および振付し、ヴァードンがローラ役を再演した。マンボの楽曲「"Who's Got the Pain"」でフォッシーとヴァードンがダンス・パートナーとなっている。
1959年、ミュージカル『Redhead』の演出および振付を担当した[17]。 『Redhead
1960年代
1961年、ロバート・モース(英語版)主演の風刺的ブロードウェイ・ミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』の振付を行なった。窓拭き作業員の野心的な青年J・ピアパント・フィンチ(モース)が「努力しないで出世する方法」という本を読んでワールドワイド・ウィケット社で出世していく物語である。このミュージカルはすぐにヒットした[19][20]。
1963年、ミュージカル『Little Me』でトニー賞において振付賞と演出賞にノミネートされ、振付賞を受賞した[9]。
1966年、ヴァードン主演の『スイート・チャリティー』で振付および演出を行なった[21]。この映画化でシャーリー・マクレーン主演の『スイート・チャリティー(英語版)』を始めとしてフィーチャー映画5本の監督を行なった。 1972年、ライザ・ミネリ、マイケル・ヨーク、ジョエル・グレイ主演のミュージカル映画『キャバレー』が2本目の監督作品となった。1996年のミュージカル『キャバレー』を基にしている。従来のミュージカルの技法での舞台版では主要登場人物がそれぞれ歌で感情を吐露したり物語を進行したりする。映画版では楽曲は全て物語に組み込まれている。この映画はキット・カット・クラブに出演するサリー・ボウルズ(ライザ・ミネリ)とイギリス人の理想主義者ブライアン・ロバーツ(マイケル・ヨーク)の若者たちの恋愛に焦点を当てている。ナチス・ドイツの台頭が背景となっている。観客からも批評家からもすぐに高評価を得た。アカデミー賞においてフォッシーの監督賞、ミネリの主演女優賞、グレイの助演男優賞を含む8部門で受賞した[22]。 1972年、フォッシーとミネリはテレビのスペシャル番組『Liza with a Z
1970年代
1973年、脚本、演出、振付を行なったミュージカル『PIPPIN』でトニー賞ミュージカル演出賞を受賞した[23]。1975年、ヴァードン主演のミュージカル『シカゴ』の演出および振付を行なった[24]。
1974年、ダスティン・ホフマン主演でコメディアンのレニー・ブルースの伝記映画『レニー・ブルース』の監督を務め、アカデミー賞において監督賞にノミネートされた他、ホフマンも主演男優賞にノミネートされた。
1974年、スタンリー・ドーネン監督の映画『星の王子さま』で歌とダンスを披露した。「オールミュージック」によると、ヘビ役として歌い踊るフォッシーは滑らかなダンスで盛り上げた[25]。1977年、ロマンティック・コメディ映画『Thieves』で端役を演じた[26]。
1979年、浮気症で薬物中毒の振付師で演出家の栄光と挫折を描いたロイ・シャイダー主演の半自伝的映画『オール・ザット・ジャズ』の共同脚本および監督を務めた。アン・ラインキング(英語版)が弟子で同棲している恋人役を演じた。アカデミー賞において監督賞3度目のノミネートで受賞には至らなかったが、作品としては4部門で受賞した。また第33回カンヌ国際映画祭では最高賞パルム・ドールを受賞した。1980年、演者になりたい人々の動機を追うドキュメンタリー作品を依頼した。 1983年、『プレイボーイ』誌のプレイメイトで若くして殺害されたドロシー・ストラットンの伝記映画『スター80』が最後の脚本および監督作品となった。
1980年代