ボブ・シーガー
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マッスル・ショールズ・リズム・セクションも参加したこのアルバムには、後にシーガーのライヴクラシックとなりメタリカにもカバーされた「ページをめくって(Turn the Page)」や、シン・リジィにカバーされる「ロザリー(Rosalie)」、ヴァン・モリソンのカバー「アイヴ・ビーン・ワーキング(I've Been Working)」などが収録された意欲作だったが、全米チャートは最高188位と振るわなかった。アルバムに伴うツアーでバックバンドに不満を感じたシーガーは、新たなバンドメンバーを探す決意を固める。なお、オールデイカー、シムズ、レヴィはエリック・クラプトンのバックバンドに参加することになる。
ザ・シルヴァー・ブレット・バンド

1974年、シーガーは自分のバックバンドとしてシルヴァー・ブレット・バンドを結成する。オリジナル・メンバーは、ドリュー・アボット(ギター)、チャーリー・アレン・マーティン(ドラム、バックボーカル)、リック・マナサ(キーボード、バックボーカル)、クリス・キャンベル(ベース)、アルト・リード(サックス、バックボーカル)。その後、キーボードはロビン・ロビンズに交代する。同年『Seven』を発表。

1975年、シーガーはキャピトルレコードに戻り、アルバム『美しき旅立ち(Beautiful Loser)』を発表。本作において「カトマンズ(Katmandu)」が全米シングルチャート最高43位まで上り、「ランブリン・ギャンブリン・マン」以来のヒットになる。

1975年9月にデトロイトのコボ・アリーナにおいて二夜にわたって行われたライヴを収録した『ライヴ(Live Bullet)』が翌年4月に発表される。このアルバムは、まずデトロイトで大ヒットを記録し、その後全国で注目を集めるようになり、全米アルバムチャートで34位にランクインした。しかし、相変わらず地元以外での知名度が低かったため、デトロイト郊外で8万人近いファンの前でライヴを行った翌日のシカゴ公演では観客が1,000人に満たないということもあった[10]。1975?76年には、キッスの北米ツアーの前座を務めている[11]
商業的成功へ(1976?87年)

1976年に発表されたアルバム『炎の叫び(Night Moves)』から、シーガーの本格的な快進撃が始まる。タイトル曲「ナイト・ムーヴス(Night Moves)」は全米シングルチャートの最高4位を記録し、AORラジオ局でもエアプレイされるようになる。アルバムには、マッスル・ショールズのピート・カーによるギターが印象的な「メインストリート(Mainstreet)」(全米24位)、「ロックン・ロール(Rock and Roll Never Forgets)」(全米41位)が収録されている。『炎の叫び』は、全米アルバムチャートでシーガー初のトップ10アルバム(最高8位)となり、2006年の時点で米国で600万枚の売り上げを記録し、オリジナルアルバムとしてはキャリア最大の売り上げとなる。このアルバムの成功により、前々作『美しき旅立ち』が全米で200万枚、前作『ライヴ』も500万枚以上の売り上げを記録する。

1977年2月にドラマーのチャーリー・アレン・マーティンが交通事故に遭い、後任に1972年の『Smokin' O.P.'s』に参加していたデヴィッド・ティーガーデンが加入する。1978年に発表されたアルバム『見知らぬ街(Stranger in Town)』は全米での売り上げが500万枚を突破し、全米アルバムチャートの4位まで上がり、1979年のビルボードの年間アルバムチャートの14位にランクされた。このアルバムからは、「裏切りのゲーム(Still the Same)」(全米4位)、「夜のハリウッド(Hollywood Nights)」(全米12位)、「愛・ひととき(We've Got Tonight)」(全米13位)、「オールド・タイム・ロック & ロール(Old Time Rock & Roll)」(全米28位)といったヒット曲が生まれている。なお、「愛・ひととき」は、1983年にケニー・ロジャースシーナ・イーストンにカバーされて全米6位のヒットになり、「オールド・タイム・ロック & ロール」は、1983年にトム・クルーズ主演の映画『卒業白書(Risky Business)』に使用され、同年の全米シングルチャートにおいて48位まで上がっている。

1979年、シーガーが共作者として名を連ねているイーグルスの「ハートエイク・トゥナイト」が全米ナンバーワンを記録。

1980年に発表されたアルバム『奔馬の如く(Against the Wind)』は、全米アルバムチャートにおいて15週連続トップの座を守っていたピンク・フロイドの『ザ・ウォール』に代わって、初のナンバーワンに輝く。ファーストシングルの「ファイアー・レイク(Fire Lake)」(全米6位)には、バックボーカルにイーグルスのドン・ヘンリーティモシー・B・シュミット、グレン・フライが参加している。その他に、タイトル曲の「アゲンスト・ザ・ウインド(Against the Wind)」(全米5位)、「わかりあえる時(You'll Accomp'ny Me)」(全米14位)、「地平線のバップ(The Horizontal Bop)」(全米42位)のヒット曲が生まれている。全米チャート6週連続1位を記録したこのアルバムは1980年のグラミー賞を2冠獲得し[12]、全米での売り上げは前作同様500万枚を突破している。

キーボードにクレイグ・フロスト(グランド・ファンク・レイルロード)が加入。1981年にはライヴアルバム『嵐の呼ぶ声(Nine Tonight)』を発表。全米アルバムチャートの3位まで上がり、売り上げは400万枚を突破している。アルバムからはオーティス・クレイで知られる「暴走マイ・ライフ(Trying to Live My Life Without You)」(全米5位)、「フィール・ライク・ア・ナンバー(Feel Like A Number)」(全米48位)がシングルカットされている。

1982年には『ザ・ディスタンス(The Distance)』(全米5位)を発表。アルバム制作中、ギターのドリュー・アボットがシーガーによるセッションミュージシャンの多用に不満を抱きバンドを脱退、後任にドウェイン・ベイリー(後にシカゴ等で活躍)が加入する。また、アルバム発表後にはドラムのデヴィッド・ティーガーデンがバンド内トラブルを理由に脱退、後任にドン・ブリューワー(グランド・ファンク・レイルロード)が加入する。このアルバムからのシングル「月に吠える(Shame on the Moon)」(ロドニー・クロウエル作)は、パティ・オースティンジェームス・イングラムの「あまねく愛で(Baby, Come to Me)」とマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」に阻まれて4週連続2位の座に留まるも、シルヴァー・ブレット・バンド最大のヒットとなった。他に「イーヴン・ナウ(Even Now)」(全米12位)、「ロール・ミー・アウェイ(Roll Me Away)」(全米27位)などがヒットしている。アルバムの売り上げは190万枚を記録する。

1984年、シーガーはニック・ノルティ主演の映画『りんご白書(Teachers)』のために書いたパワーロックバラード「アンダースタンディング(Understanding)」(全米17位)を録音する。また、1986年にはロブ・ロウ主演の映画『きのうの夜は…(About Last Night...)』に「リヴィング・インサイド・マイ・ハート(Living Inside My Heart)」を録音する。

この辺りから、スタジオアルバム発表のインターバルが長く空くようになる。1986年発表の『ライク・ア・ロック(Like a Rock)』は全米3位を記録し、アルバムの売り上げは最終的に300万枚を突破する。このアルバムからは、「アメリカン・ストーム(American Storm)」(全米13位)、「イッツ・ユー(It's You)」(全米52位)、「ライク・ア・ロック(Like a Rock)」(全米12位)、「マイアミ(Miami)」(全米70位)などのヒットが生まれている。アルバムに伴うAmerican Stormツアーは9か月に及び、約150万枚のチケット売り上げを記録する。アルバムのタイトルトラック「ライク・ア・ロック」はシボレートラックのキャンペーン曲として1991年から2004年まで使用された[13]

1987年3月13日、ボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンドは音楽分野での業績が認められ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにその名が刻まれる。

1987年、シーガーはエディ・マーフィ主演の映画『ビバリーヒルズ・コップ2』のサントラ曲「シェイクダウン(Shakedown)」を録音する。映画の音楽担当であるハロルド・フォルターメイヤーとキース・フォーシーのペンによるシンセを多用したポップロック曲は、前作『ビバリーヒルズ・コップ』で「ヒート・イズ・オン」を歌っていたグレン・フライが歌う予定だったが、フライは用意されていた歌詞が気に入らず、さらにレコーディング直前に喉頭炎にかかったため、代わりにシーガーが歌うことになった。コーラス部以外の歌詞をシーガーにより書き換えられたこの曲は、同年8月1日にシーガーにとって初の(そして唯一の)全米シングルチャート1位を記録する[4]
後年(1988年?現在)

1990年代に入り、『Fire Inside』(1991年全米7位)や『イッツ・ア・ミステリー(It's a Mistery)』(1995年全米27位)といったアルバムを発表するが、折しもグランジオルタナティヴ・ロックの台頭により、シーガーの新曲をラジオ等で聞く機会は以前に比べて少なくなった。しかし、1994年に発表されたベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ(Greatest Hits)』は過去最高の売り上げ(2011年9月時点で全米において900万枚以上)を記録し、1996年に行われたツアーは同年の北米におけるコンサートチケット売り上げ第4位を記録する。

その後、シーガーは家族との時間を優先するために、約10年間音楽業界から退く。2001年と2002年には、ミシガン州ヒューロン湖でのボートレースにおいてシーガー所有のボート「ライトニング号」が優勝している[14][15]。2004年3月15日、シーガーはロックの殿堂入りを果たす[16]。2005年、3ドアーズ・ダウンのアルバム『Seventeen Days』の収録曲「Landing in London」にゲスト参加する。

2006年には、11年ぶりとなるアルバム『Face the Promise』を発表。発表から45日で40万枚を超える売り上げを記録し、最終的には120万枚を突破している。ツアーも各地でソールドアウトとなり、以前と変わらない人気の高さをアピールした。

2009年には、『Smokin' O.P.'s』(1972年)、『Seven』(1974年)などの楽曲のリミックスまたは再録音、そして過去の未発表曲を収録したコンピレーションアルバム『Early Seger Vol. 1』をリリースする。アルバムは当初、米国大手のスーパーマーケットであるマイヤー店舗でのみの販売だったが、のちにシーガーの公式サイトでダウンロードできるようになる[17]。2010年、キッド・ロックのアルバム『Born Free』の収録曲「Collide」にピアノでゲスト参加する。


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