ボノ
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2003年、ネルソン・マンデラのチャリティーイベント「46664」にジ・エッジと参加し、ビヨンセデイヴ・スチュワートらと共演。

2006年、トニー・ベネットのアルバム『Duets:Amerivan Classic』で「I Wanna Be Around」を共演。

2010年、ミュージカル『スパイダーマン』の音楽をジ・エッジとともに担当。

2000年にはかねてより温めていた原案を製作し、ヴィム・ヴェンダース監督の『ミリオンダラー・ホテル』として映画化する(ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞)。主題歌やサントラ制作も手掛けた。

2003年には娘2人とイラストを描いた『ピーターとおおかみ』(セルゲイ・プロコフィエフ原作)を出版した。付属CDのナレーション・音楽担当は親友のギャヴィン・フライデー(日本語版ナレーションはジョン・カビラ)。
慈善活動家2001年G8サミットにてトニー・ブレア英首相、ウラジーミル・プーチン露大統領、ボブ・ゲルドフと共に。ホワイトハウスにてバラク・オバマ米大統領と会見(2010年)。

1985年エチオピア飢餓救援コンサートライブエイドに参加した後、同国の孤児院で6週間、夫婦でボランティアをした。このとき、自分の知名度と影響力をアフリカの貧困撲滅のために使おうと決意した。米英独仏のトップに会い、協力を呼びかけた。

1990年代末よりスポークスマンとしての積極的な活動を始め、アフリカ貧困国の対外債務帳消しを唱えるジュビリー2000運動に参加。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンに面談し、運動への理解を求めた。2000年には朝日新聞の『論壇』に寄稿している。

活動スタンスはロックスターとしての知名度や話題性を活用し、世界各国の首脳や財界人にアプローチして、通常レベルの意識啓蒙も図ろうとするもの。2002年のTIME誌の報道によると、当時米国の財務長官だったポール・オニールが初めはよくあるセレブリティの売名行為と考えボノに会いたくなかったが、実際に会話をしてみると、アフリカの経済問題をよく理解していることに驚いたと語っている。その後2人は、共にアフリカへ視察へ行った。

米国の共和党タカ派筆頭として国連を敵視しリベラルな政策にことごとく異議を唱えてきたジェシー・ヘルムズが、ボノに説得されアフリカ支援を表明したことは話題となった。

2001年にはチャリティーシングル「What's Going On:All Star Tribute」を企画(マーヴィン・ゲイの楽曲のカヴァー)。R.E.M.のマイケル・スタイプ、ブリトニー・スピアーズクリスティーナ・アギレラデスティニーズ・チャイルドバックストリート・ボーイズイン・シンクジェニファー・ロペスネリージャ・ルールなど様々なアーティストが参加した。エイズ治療・研究基金を募る目的だったが、発売後にアメリカ同時多発テロ事件が発生したため、収益の半分をテロ犠牲者の家族支援基金へ贈った。

2002年にはジュビリー2000の延長として、DATA(Debt(債務)、AIDS(エイズ)、Trade(貿易)、Africa(アフリカ)の頭字語)を共同設立した。また、2004年よりONE Campaignの活動にも深く関わる。

2005年7月のG8サミットでは、アフリカに500億ドルの援助と最貧困国18ヵ国の債務免除をする事を約束させた。同月にはボブ・ゲルドフに協力しLIVE 8開催に貢献。同年10月にはアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ大統領と昼食をし、聖書の一節を引用しながら援助の約束を取り付けた。

2006年1月の世界経済フォーラム年次会合では、売り上げの1%がエイズ対策基金に回るREDを新設した。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2006年7月にはYahoo!グループと提携し、各国の情報掲示板で「貧困をなくすために何が出来ますか」という質問をして回答を募った[要出典]。
評価

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第32位[2]

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第26位[3]

慈善活動が評価され、2003年2005年2006年にはノーベル平和賞候補になる。

2006年12月23日に、英国大使館は、音楽界への貢献と人道活動を評価し、名誉ナイト爵位を叙位することを発表した[4]。ただし、英国民ではないので「サー」の敬称はつかない。他にも、2003年に、フランスのシラク大統領からレジオン・ドヌール勲章を授与された。2013年7月に、フランス芸術文化勲章コマンドゥールを授与される[5]

2008年5月27日、アフリカ貧困撲滅運動など人道支援活動の功績により、慶應義塾大学から名誉博士号(法学)を受ける。

逆に、そのイメージが政治的に利用される場合もある。2005年3月、当時のアメリカ国防副長官で代表的ネオコンとしてイラク戦争を推進したポール・ウォルフォウィッツが、ブッシュ大統領より世界銀行総裁に指名され物議をかもした。自分に人望が無いことを自覚していたウォルフォウィッツは、批判をかわすために、一部で『もっとも世界銀行総裁にふさわしい男』との声が高かったボノに電話を入れて助言と協力を仰いだ。

また、アイルランド出身であるが、アイルランド政府に海外援助を要請しつつもアイルランドの法律の抜け穴を利用して節税した後、法律が変更されるとU2の版権管理会社をアイルランドから税率の極端に低いオランダに移動させ、毎年数十億円の節税を行っている[6]。母国に納税せず援助だけを要求する行為については、アイルランドの音楽家からも非難されている[7]

2014年、アメリカのフォーチュン誌が発表した「世界で最も偉大な指導者50人」において8位に選ばれた[8]

2017年、タックス・ヘイヴン(租税回避地)に関する流出資料「パラダイス文書」に掲載されていた著名人の中に、ボノの名前があった[9]。節税目的でマルタ共和国の会社を通じ、リトアニアのショッピングモールに投資していたとされる。ボノは投資家として会社の不正行為を知らなかったと説明し、オフショア会社に関するこうした報道を歓迎すると述べた[10]

2019年、純資産が7億ドルを超え、世界で二番目に裕福なロックスターと報じられた[11]
人物
名前”Bono”の由来となった補聴器店「ボナ・ヴォックス」

「ボノ(Bono)」とは地元ダブリンでつるんでいた少年グループ内で付けられたニックネームであり、友人のグッギ(Guggi[注 1])が命名した。由来はダブリンの中心街にあった補聴器店の店名「ボナ・ヴォックス(Bonavox[注 2])」で、「ボノ・ヴォックス・オブ・オコンネル・ストリート(Bono Vox of O'Connell Street)」を縮めてボノになった。
家族妻のアリソン・ヒューソン

カトリックプロテスタントの深刻な宗教的対立下のアイルランドにおいて、カトリックの父とプロテスタントの母の間に生まれる。宗派を超えた両親の愛で育まれたことが、人種や宗教を超えた理想主義者というパーソナリティーにつながる。


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