ボディビル
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キューバ出身のボディビルダー、セルフィオ・オリバ(Sergio Oliva)は、1967年1968年1969年に開催された『ミスター・オリンピア』で優勝を果たしている[8][21]が、1970年から1975年にかけて出場し、オリバを破った人物がいた。その人物こそが、アーノルド・シュワルツェネッガーであった[22]。シュワルツェネッガーは、『ミスター・オリンピア』の称号を七回獲得している[23]1980年の大会で七度目の『ミスター・オリンピア』の称号を獲得したのち[1]、シュワルツェネッガーは、ボディビルからの引退を表明した[22]

1977年記録映画『Pumping Iron』に出演したシュワルツェネッガーは、その時点ではステロイドの服用を認めなかったが、のちに「競技で優位に立ちたければ、手段を選んではいけない」と語っている。

1977年に発売された小冊子『Arnold: Developing a Mr Universe Physique』の中で、シュワルツェネッガーはステロイドの服用について、「大会出場の準備に向けて、筋肉の質量を維持するためだ」という趣旨を強調し、以下のように語っている。「仲間のボディビルダーたちを擁護するわけではないが、筋肉組織を構築する薬物に関する私自身の経験について書いておきたい。そう、私はステロイドを服用した。だが、ステロイドだけでこの身体になったわけではない。アナボリック・ステロイドは、競技会に向けて厳しい食事制限に励みつつ、筋肉の質量を維持するのに役立ちました。ステロイドを服用したのは、筋肉の発達のためではなく、減量期に入ったあとの筋肉量の維持のために使ったのです」[24]

2009年、彼は「ステロイドの服用については後悔していない」と述べた。シュワルツェネッガーはステロイドの服用を認めているが、当時は合法であった趣旨を強調した[5]。「(ステロイドの服用については)後悔していない。当時、新しいものが世に出てきて、医師の監督のもとで服用したんだ」「実験していたのさ。新しい存在だったんだよ。時計の針を戻して、『今ならこのことについて考えを改めるだろう』とは言えないよ」と語った。彼はまた、「子供たちに間違った教訓を与えてしまうから、薬物の服用は奨励しない」が、「運動競技選手たちが、自身の能力を向上させる目的で栄養補助食品や合法物質を摂取することについては何の問題も無い」と述べた[23]

アナボリック・ステロイドについて、セルフィオ・オリバはナンドロロン(Deca-Durabolin)とダイアナボル(Metandienone)を服用していた。ステロイドの服用について、オリバは以下のように語っている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「これは、人々が大いに関心を示す分野だ。誰がステロイドを使おうが、それ自体は個人の自由さ…その人の人生なんだから。さて、今や誰もがステロイドを入手できるようになった。昔、某有名雑誌で、アーノルドがステロイドの服用を否定している記事を目にしたことがあるが、彼はアメリカにステロイドを持ち込んだ最初の人物だ。昔は誰もが使っていたよ。フランク・ゼイン、フランコ・コロンボ、俺、アーノルド、ラリー・スコット、ハロルド・プール、デイヴ・ドレイパー、スティーヴ・リーヴスもね。これは否定のしようがない。大した問題ではなかったんだ。今のボディビルダーたちほどではないが、服用していたよ。でも、薬の開発は異質なものだ。俺はナンドロロンとダイアナボルを使っていたが、これらは本当に凄い代物でね、ナンドロロンはそれほど悪いものだとは認識されていなかったんだ。「骨を丈夫にするから」って、医者が処方していたくらいだからね。現時点で体重が約91kgの人が、半年後には約113 - 136kgにまで増える!この場合、その人は、普通ならありえないものを服用しているんだ。「何も摂取してないよ」と言った場合、その人は嘘を吐いてるってことになる」[25]

ステロイドの服用の撲滅と、国際オリンピック委員会への加入を目論む形で、国際ボディビル連盟は、ステロイドや違法薬物に対する薬物試験を導入することにした。しかし、競技に出場するにあたり、薬物を服用するボディビルダーは後を絶たない。

1990年に制定された規制物質法(The Controlled Substances Act)にて、アメリカ連邦議会は「一覧表III」にアナボリック・ステロイドの名前を登録した[26]。「ステロイドで強化された競技選手は、ステロイドを服用していない選手よりも有利であり、不公平である」という懸念があった。1988年、短距離走者のベン・ジョンソン(Ben Johnson)が、違法薬物を摂取したのを理由に金メダルを剥奪されたとき、精鋭競技は、努力や公正さよりも、「誰がより良い薬を持っているか」という様相を呈するようになった。時の上院議員、ジョー・バイデン(Joe Biden)は、議会が懸念していた事柄について、以下のように発言した。「…今後数年間で、オリンピックに出場する選手から、大学での運動競技、職業選手に至るまで、アメリカにおける運動競技に対する、一般市民からの強い反発が見られることでしょう。怒りの感情が高まりつつあり、それがどのような形で作用するのかは見当もつきません」[26]

医師からの処方箋が無い状態でアナボリック・ステロイドを所有した場合、法律違反となる[19][1]。この法律が施行されるまでは、ステロイドの服用は違法ではなかったことを忘れてはならない[24]1996年カナダ議会は「規制薬物及び物質法」(The Controlled Drugs and Substances Act)を制定し、「一覧表IV」にアナボリック・ステロイドの名前を記載した[27]

アナボリック・ステロイドの副作用として、?瘡(にきび)、脱毛、心臓病発症の危険性の増加、腎臓と肝臓の機能不全、高血圧、性的不能が報告されている[19]

また、アナボリック・ステロイドの服用行為は、1960年代には既に始まっていた。1980年代になると、複数の種類のステロイドに加えて、筋肉を肥大させる目的から、インスリン(Insulin)の服用も増えるようになった[8]

デイヴィッド・ロブスン(David Robson)は、ボディビルダーの多くがステロイドを服用している点、ステロイドの服用の問題点を認めながらも、「薬物の服用を完全に禁止した場合、ボディビルの魅力が奪われてしまうだろう」「IFBBがボディビルからステロイドを排除するのは現実離れしており、事実上、不可能だ」と力説している[5]

アナボリック・ステロイドのような薬物の服用により、ボディビルダーは筋肉の大きさや力強さと引き換えに、長期的には健康を危険に晒す恐れがあり、それによって、ボディビルの正当性は消滅の危機に直面している[1]
ヴィンス・マクマホン

1990年プロレスの普及推進を目指すヴィンス・マクマホン(Vince McMahon)は、「世界ボディビル連盟」(The World Bodybuilding Federation, WBF)の設立を考えていた。マクマホンは、この連盟の人材開発部長としてトム・プラッツを雇った。1990年9月15日、第26回ミスター・オリンピア競技会が開催された。マクマホンはトム・プラッツと一緒に会場に姿を見せ、雑誌『Bodybuilding Lifestyles』を宣伝していた。優勝したリー・ヘイニー(Lee Haney)が、ミスター・オリンピアの称号を授与されようとしていたその矢先、トム・プラッツが舞台の上で即興の演説を行い、WBFの設立と、IFBBの打倒を宣言した。この翌日、マクマホンは記者会見を開き、ウイダー兄弟を公然と批判し、「自分のWBFこそ、ボディビルの本来のあるべき姿』だ」と主張した。マクマホンの言葉は、IFBBが薬物検査を行おうとしない現況をそれとなく伝えるものであった。1990年、IFBBは厳格な薬物検査を実施し、出場選手の二割が「不合格」と認定された。マクマホンは、「ボディビルの行事を今よりも劇的なものにし、ボディビルダーたちが受け取る賞金をさらに増やす」と宣言し、ボディビルダーたちと高額の資金契約を結んだ[28][29][30]

ウイダー兄弟は、IFBBに所属する選手に対し、「WBFに加盟した者は、IFBBが主催する競技会において即座に失格とする」「新たな団体に加盟した場合、IFBBに戻ることは決して許可しない」と述べた[28][29]


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