ボディビル
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1930年以前のボディビルダーには、ライオネル・ストロングフォート(Lionel Strongfort)[15]や、第一次世界大戦に従軍して片足を失ったアラン・P・ミード(Alan P. Mead)がいる。俳優のフランセス・X・ブッシュマン(Francis X. Bushman)は、無声映画に出演する前は彫刻の題材にもなっていた[16]
1950年代 ? 1960年代

1946年カナダ人の兄弟であるジョー・ウイダー(Joe Weider)とベン・ウイダー(Ben Weider)が、「国際ボディビル連盟」(The International Federation of Bodybuilders, IFBB)を設立した[1]1950年代から1960年代にかけて、力強さと体操の熱烈な推進者が現われるようになり、時を同じくして、ボディビル雑誌、筋力鍛錬の基本原則、筋肉肥大と体脂肪減少に向けての栄養摂取、タンパク質栄養補助食品、体格を競い合う大会の普及に伴い、ボディビルの人気も上がるようになった。「ゴールド・ジム」(Gold's Gym)のような「筋金入り」の筋力鍛錬施設が登場したのは1965年8月のことであった。

1965年9月18日、ウイダー兄弟は『ミスター・オリンピア』(Mr. Olympia)と題したボディビル大会を初めて主催した[1]。この大会で優勝を果たしたのはラリー・スコット(Larry Scott)であった。スコットは翌年に開催された大会にも出場し、優勝している[8]。1965年以降、『ミスター・オリンピア』は17の都市で開催されている[17]

1939年7月4日に「全米体操愛好連盟」(The Amateur Athletic Union)が初めて主催した『Mr. America』のような、ボディビル団体が開催する競技会は多数あるが、主流のボディビル団体は国際ボディビル連盟である[1]。「全米ボディビル愛好協会」(The National Amateur Body-Builders' Association, NABBA)が毎年主催するボディビル大会『The Universe Championships』(『世界選手権』)があるが、これは元々『Mr. Universe』(「ミスター・ユニヴァース」)という題名の選手権であった。アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)もこの大会に何度か出場し、『ミスター・ユニヴァース』の称号を獲得している[8]

カリフォルニア州サンタ・モニカにあるマッスル・ビーチ(Muscle Beach)は、1934年以降、体操や重量挙げといった、身体を鍛える者たちの場所となっている。ジャック・ララーヌ(英語版)やスティーヴ・リーヴスもここで鍛錬に励んだ[18]
1970年代 ? 1990年代
アナボリック・ステロイドの服用1953年撮影。筋肉を誇示するように構えるエド・フューリイ(Ed Fury)。隣に立っているのはジャッキー・コーイ(Jackie Coey)。

1970年代になると、媒体を通じて、フランコ・コロンボ(Franco Columbu)、ハロルド・プール(Harold Poole)、デイヴ・ドレイパー(Dave Draper)、フランク・ゼイン(Frank Zane)、ラリー・スコット(Larry Scott)といった複数のボディビルダーの名前が知れ渡るようになった。しかし、筋肉増強作用を持つアナボリック・ステロイド(Anabolic Steroid)を服用するボディビルダーも現われるようになった。トム・プラッツ(Tom Platz)やポール・デメーヨ(Paul Demayo)のように、身体の一部だけが発達しているボディビルダーもいる。

アナボリック・ステロイドは、男性ホルモンの一種であるテストステロン(Testosterone)の合成誘導体(Synthetic Derivatives)であり[19]、筋肉の大きさや筋力の増幅に影響を及ぼす。1960年代、運動競技選手が薬物として服用した初のステロイドの一つであった。1974年国際オリンピック委員会(The International Olympic Committee)は、ステロイドの服用を正式に禁止した[20]。除脂肪体重、筋力、全体的な運動能力を向上させる目的で、運動競技に出場する選手たちが服用してきた[19]

キューバ出身のボディビルダー、セルフィオ・オリバ(Sergio Oliva)は、1967年1968年1969年に開催された『ミスター・オリンピア』で優勝を果たしている[8][21]が、1970年から1975年にかけて出場し、オリバを破った人物がいた。その人物こそが、アーノルド・シュワルツェネッガーであった[22]。シュワルツェネッガーは、『ミスター・オリンピア』の称号を七回獲得している[23]1980年の大会で七度目の『ミスター・オリンピア』の称号を獲得したのち[1]、シュワルツェネッガーは、ボディビルからの引退を表明した[22]

1977年記録映画『Pumping Iron』に出演したシュワルツェネッガーは、その時点ではステロイドの服用を認めなかったが、のちに「競技で優位に立ちたければ、手段を選んではいけない」と語っている。

1977年に発売された小冊子『Arnold: Developing a Mr Universe Physique』の中で、シュワルツェネッガーはステロイドの服用について、「大会出場の準備に向けて、筋肉の質量を維持するためだ」という趣旨を強調し、以下のように語っている。「仲間のボディビルダーたちを擁護するわけではないが、筋肉組織を構築する薬物に関する私自身の経験について書いておきたい。そう、私はステロイドを服用した。だが、ステロイドだけでこの身体になったわけではない。アナボリック・ステロイドは、競技会に向けて厳しい食事制限に励みつつ、筋肉の質量を維持するのに役立ちました。ステロイドを服用したのは、筋肉の発達のためではなく、減量期に入ったあとの筋肉量の維持のために使ったのです」[24]

2009年、彼は「ステロイドの服用については後悔していない」と述べた。シュワルツェネッガーはステロイドの服用を認めているが、当時は合法であった趣旨を強調した[5]。「(ステロイドの服用については)後悔していない。当時、新しいものが世に出てきて、医師の監督のもとで服用したんだ」「実験していたのさ。新しい存在だったんだよ。時計の針を戻して、『今ならこのことについて考えを改めるだろう』とは言えないよ」と語った。彼はまた、「子供たちに間違った教訓を与えてしまうから、薬物の服用は奨励しない」が、「運動競技選手たちが、自身の能力を向上させる目的で栄養補助食品や合法物質を摂取することについては何の問題も無い」と述べた[23]

アナボリック・ステロイドについて、セルフィオ・オリバはナンドロロン(Deca-Durabolin)とダイアナボル(Metandienone)を服用していた。ステロイドの服用について、オリバは以下のように語っている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「これは、人々が大いに関心を示す分野だ。誰がステロイドを使おうが、それ自体は個人の自由さ…その人の人生なんだから。さて、今や誰もがステロイドを入手できるようになった。昔、某有名雑誌で、アーノルドがステロイドの服用を否定している記事を目にしたことがあるが、彼はアメリカにステロイドを持ち込んだ最初の人物だ。昔は誰もが使っていたよ。フランク・ゼイン、フランコ・コロンボ、俺、アーノルド、ラリー・スコット、ハロルド・プール、デイヴ・ドレイパー、スティーヴ・リーヴスもね。これは否定のしようがない。大した問題ではなかったんだ。今のボディビルダーたちほどではないが、服用していたよ。でも、薬の開発は異質なものだ。俺はナンドロロンとダイアナボルを使っていたが、これらは本当に凄い代物でね、ナンドロロンはそれほど悪いものだとは認識されていなかったんだ。「骨を丈夫にするから」って、医者が処方していたくらいだからね。現時点で体重が約91kgの人が、半年後には約113 - 136kgにまで増える!この場合、その人は、普通ならありえないものを服用しているんだ。「何も摂取してないよ」と言った場合、その人は嘘を吐いてるってことになる」[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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