中央政府とボスニア連邦では、2000年に実施された国政選挙によって、紛争勃発後初めて社会民主党を中心とする非民族主義政権が誕生した。しかし、2002年10月の国政選挙では非民族主義政権が伸び悩み、大統領評議会員選挙では3名とも民族主義政党出身者が当選するなど、結果的に民族主義勢力が伸張した。主要政党は民族ごとに結成されており、それぞれが民族的利益を主張するため、国政運営上の障害となっている。こうした現状に対して、民族融和や腐敗追放を掲げる政党や政治家も登場している。首都サラエボからの大統領立候補をセルビア人に認めてこなかった選挙制度について、欧州人権裁判所が2020年12月に違法との判決を下している[16]。 ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年5月22日に国際連合に加盟したが、その後の民族対立、内戦は悲惨であった。民族対立は完全に解消されたわけではないが、「欧州大西洋機構への統合」、即ち欧州連合(EU)及び北大西洋条約機構(NATO)加盟が民族を超えた共通の目的であり、ボスニア政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいる。 2000年12月、ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビア連邦共和国との間で正式な外交関係を樹立した。また警察改革や公共放送法の採択で進展があったため、EUは2005年11月7日に安定化・連合協定締結交渉の開始を承認した。なお、EU加盟は3民族の共通目標[注釈 4][13]とされており、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗にもそれが現れている。 2016年2月、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府はEUへの正式な加盟申請を行った。ベルギーのブリュッセルにおいて、ボスニア・ヘルツェゴビナのドラガン・チョヴィッチ大統領評議会(幹部会)議長が、EU議長国オランダのクーンデルス外相に対して、申請の文書を手渡した[17]。「ボスニア・ヘルツェゴビナの政治的分裂
NATOおよびEUへの加盟構想
同国軍は陸軍、空軍及び防空軍の二軍種から成り立っている。軍事力は中央政府に統一されたが、連隊以下は民族別編成とされている[4]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
地理
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ボスニア・ヘルツェゴビナの地形詳細は「ボスニア・ヘルツェゴビナの地理(英語版)」を参照
国土はおおよそ三角形をしている。歴史的に北中部はボスニア、南部はヘルツェゴビナと呼ばれてきた。
南部には海抜高度2,000mを超える山地が多い。アドリア海に沿ってディナル・アルプス(Dinaric Alps)が延びており、国土の南西部は石灰岩によるカルスト地形で乾燥している。南西のネウム付近では、アドリア海に面して20キロメートル程の海岸線を持っているが、ネウム周辺に大きな港はない。ボスニア・ヘルツェゴビナは、海に面した国としてはモナコに次いで世界で2番目に短い海岸線を持っている。
国土の南部、ヘルツェゴビナ地方をネレトヴァ川が貫き、クロアチア領を経てアドリア海へと注いでいる。また北部にはサヴァ川が流れ、クロアチアとの自然国境となっている。サヴァ川はその後セルビア領へと続き、ドナウ川に合流している。国土の北東にある、サヴァ川に面した町ブルチコは、ボスニア・ヘルツェゴビナの陸上交通とドナウ川の水上交通路を結ぶボスニア・ヘルツェゴビナ最大の港町である。サヴァ川の支流ボスナ川は、サラエボ近郊の山中から流れ出し、北に向けてゼニツァ、ドボイ、ボサンスキ・シャマツを経てサヴァ川に合流している。このほかにサヴァ川の支流としてウナ川やヴルバス川などがある。また、国土の東部にはドリナ川が流れ、セルビアとの国境となっている。
気候は、北部のボスニアはサヴァ川流域を中心に大陸性気候、南部のヘルツェゴビナはネレドバ川河口部が地中海性気候となっている。ボスニアは概して温暖だが冬は非常に寒く、一方のヘルツェゴビナ(特に石灰岩地帯)は10月?1月の冬場にかけて雨が多く、夏が非常に暑い。
地方行政区分「ボスニア・ヘルツェゴビナの地方行政区画」、「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の県」、および「スルプスカ共和国の地方行政区画」も参照ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(青)、スルプスカ共和国(赤)とブルチコ行政区(緑)
1995年のデイトン合意の定めにより、クロアチア人およびボシュニャク人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が主体のスルプスカ共和国という二つの構成体(Entitet)によって構成される。