ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は、以下の10の県から成っている[注釈 5]。それぞれの県の下には、最小の自治体であるオプシュティナが置かれている。
ウナ=サナ県(Unsko-sanski kanton)
ポサヴィナ県(Posavski kanton)
トゥズラ県(Tuzlanski kanton)
ゼニツァ=ドボイ県(Zeni?ko-dobojski kanton)
ボスニア・ポドリニェ県(Bosansko-podrinjski kanton)
中央ボスニア県(Kanton Srednja Bosna)
ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県(Hercegova?ko-neretvanski kanton)
西ヘルツェゴビナ県(Zapadno-hercegova?ki kanton)
サラエヴォ県(Kanton Sarajevo)
第十県(Kanton 10)
一方、スルプスカ共和国には県に相当する自治体はない。
オプシュティナはボスニア・ヘルツェゴビナで最小の自治体の単位であり、日本の市町村やイタリアのコムーネ、ドイツのゲマインデなどにほぼ相当する。それぞれのオプシュティナは独自の議会と市長、閣僚を持っている。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦には79、スルプスカ共和国には62のオプシュティナがある。
主要都市ボスニア・ヘルツェゴビナの地理
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
サラエヴォ
トゥズラ
ゼニツァ
モスタル
ビハチ
トラヴニク
キセリャク
ドボイ
ツァジン
ブゴイノ
ヴェリカ・クラドゥシャ
ネウム
スルプスカ共和国
バニャ・ルカ
プリイェドル
ビイェリナ
ボサンスキ・ブロド
トレビニェ
ブルチコ行政区
ブルチコ
経済首都サラエヴォの街並み。詳細は「ボスニア・ヘルツェゴビナの経済(英語版)」を参照
2013年の国内総生産(GDP)は約179億ドルであり[2]、日本の鳥取県とほぼ同じ経済規模である[18]。同年の一人当たりのGDPは4,620ドルである[2]。経済的には、オスマン帝国の支配時代から農業に大きく依存する貧困な地域であり、ユーゴスラビアの成立後も、マケドニア共和国に次ぐ経済後進国であった。穀物栽培に適当な土壌が多いことから、かつては豆、タバコ、ザクロ、ブドウ、オリーブ、イチジク、メロンなどの農作物が栽培され、主要な羊の飼育地でもあった。しかし、紛争によって農耕地の多くが破壊され、紛争終結後も利用できない土地が少なくない。
現在の主要産業は林業、鉱業、繊維業などである。林業では松、カヤ、ブナなどが産出される。鉱業ではボスニアで大理石や建築用の石材、及び鉄・石炭・銅・マンガン・鉛・水銀など多様な鉱物が、ヘルツェゴビナではアスファルト・褐炭がそれぞれ生産される。しかし、失業率は48%(2006年時点)とヨーロッパの中でもトップクラスであり、特に若年層の失業とインフォーマル経済による景気低迷が課題である。
民間部門が弱いため、公共事業への依存度が高く、その公共事業の受注や選挙戦などに関連する汚職が深刻である[5][16]。このため、若者を中心にEU諸国へ移住する人も多く、累計50万人にも達する[11]。
1992年の独立後、ボスニア政府はユーゴスラビア・ディナールに代わる独自の通貨の導入を決定した。しかし、ボスニア紛争時には、ボシュニャク人支配地域ではボスニア・ディナール、セルビア人支配地域ではユーゴスラビア・ディナール、クロアチア人支配地域ではクーナがそれぞれ使用されたため、統一通貨の実施は遅れた。1998年1月、ボスニア政府は新通貨として兌換マルクを発表した。
交通詳細は「ボスニア・ヘルツェゴビナの交通(英語版)」を参照
ボスニア・ヘルツェゴビナには5つの国際道路と20の国道が存在している。ボスニア・ヘルツェゴビナのバス路線はヨーロッパエリアの多くの国のバス路線へ接続されている。
河川港がサヴァ川に設けられており、現在も航行可能となっているがその利用は制限されている。空港は25箇所が存在する。
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国民
出典検索?: "ボスニア・ヘルツェゴビナ"
詳細は「ボスニア・ヘルツェゴビナの人口統計(英語版)」を参照
民族
ボシュニャク人 48%
セルビア人 37%
クロアチア人 14%
ロマ他 1%
ローマ・カトリックとイスラム、セルビア正教会が混在する街並み(ボサンスカ・クルパ)