1970年代にエクイティ・ファンディング事件が取りざたされる一方で、市の経済は急に上向いた。マサチューセッツ総合病院、ベス・イズリアル・ディーコンネス医療センター、ブリガム・アンド・ウイメンズ病院などの病院は、医療技術の革新や患者ケアの分野でアメリカにおける先駆けとなった。ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、タフツ大学、ボストン・カレッジ、ボストン大学、ノースイースタン大学といった大学の存在により、多くの学生がボストンに集まった。その一方で、1974年以降には人種差別廃止に向けたバス通学をめぐって対立が生じ、1970年代半ばには公立学校周辺でけんかや暴行事件が相次いだ。コロンビア・ポイント半島にあるジョン・F・ケネディ図書館(2007年)
コロンビア・ポイント公営住宅は、1953年にドーチェスター半島に建設されたが計画はうまくいかず、1988年にはここに住むのはわずか350世帯となっていた。町は荒廃し、治安も悪かった。1984年に、ボストンは民間の開発業者であるコーコラン・マリンズ・ジェニソンに管理を委託し、同社の行った再開発・再活性化によって、公営住宅はハーバー・ポイント・アパートと呼ばれる、低所得者層に限らない、魅力のある居住地域となった。1988年に入居が開始し、1990年までに完成した。連邦政府の公営住宅事業が所得層を問わない民間住宅に転換した例としては、アメリカ国内初であり、1992年に始まった連邦政府の公営住宅再活性化プログラムのモデルとなった[57]。
21世紀初頭においてボストンは学術・科学技術・政治の各面で中心的存在となっている。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙に買収されたボストン・グローブ紙のように、消えてしまった地元企業[58]、ノースカロライナ州シャーロットに基盤を置くバンク・オブ・アメリカに2004年に買収されたフリートボストン・フィナンシャルのように、統合・買収によりなくなってしまった地域金融機関もある。ボストンを拠点とする百貨店であるジョーダン・マーシやフィリーンズも、ニューヨークを拠点とするメイシーズに吸収された。
メイシーズの経営者は、クーン・ローブ、リーマン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックス、他多数のユダヤ系金融機関の経営者とひとつの閨閥をつくっていた[59]。
地理ボストン市内の地区(ネイバーフッド)
アメリカ合衆国統計局によると、この都市は総面積232.1km2(89.6mi2)である。このうち125.4 km2(48.4 mi2)が陸地で106.7 km2(41.2 mi2)が水地域である。総面積の46.0%が水地域となっている。
早い時期に建設されたために、ボストンは非常にコンパクトにまとまった町である。人口が60万人を超えるアメリカの都市の中で、ボストンより陸地面積が狭いのはサンフランシスコだけである。ボストンの標準標高は、ローガン国際空港の海抜5.8m(19 ft)である[60]。最も標高の高い地点はベレビュー・ヒルの海抜101m(330 ft)であり、最も低い地点は海水面である[61]。
ボストンは、大ボストン都市圏という巨大な都市圏の中核である。同都市圏には450万人が住み、全米第10位の都市圏である。通勤圏としての大ボストン都市圏には、ロードアイランド州、ニューハンプシャー州、メイン州の一部も含まれ、その人口は750万人、全米第5位の合同統計地域(広域都市圏)である。隣接する市・町としては、ウィンスロップ、リビア、チェルシー、エバレット、サマービル、ケンブリッジ、ウォータータウン、ニュートン、ブルックライン、ニーダム、デダム、カントン、ミルトン、クインシーがある。チャールズ川が、ボストン本体とケンブリッジ、ウォータータウン、ボストンのチャールズタウン地区とを隔てている。東にはボストン港、そしてボストン・ハーバー・アイランズ国立保養地がある。ネポンセット川は、ボストンの南部地区と、クインシー市、ミルトン町との境を流れる[62]。ミスティック川は、チャールズタウンと、チェルシー、エバレットとを隔て、チェルシー・クリークおよびボストン港が、イーストボストンとボストン本体とを隔てている[63]。