ボストンマラソン
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日本人の例では、参加した場合には優勝年と同じ数字のゼッケンが与えられる[8]
日本人優勝者・参加選手1955年大会で優勝した濱村秀雄。そのうしろをボストン市長のジョン・B・ハインズ(John Hynes)が月桂冠を持って追いかけている[9]1966年大会で日本選手は1位から4位までを独占した。左から岡部宏和(4位)、佐々木精一郎(2位)、君原健二(優勝)、寺沢徹(3位)。

日本人の当マラソン優勝者では、下記8人の男子選手がいる。

田中茂樹1951年)2:27:45

山田敬蔵1953年)2:18:51

濱村秀雄1955年)2:18:22

重松森雄1965年)2:16:33

君原健二1966年)2:17:11

采谷義秋1969年)2:13:49

瀬古利彦1981年)2:09:26、(1987年)2:11:50 - 日本人では唯一の複数回(2度)優勝者である。

川内優輝2018年)2:15:58[7]



このうち、田中・山田・浜村の走ったコースは後に距離不足が判明し、いずれも記録抹消の憂き目を見ている。山田の記録は当時「世界最高記録」とアナウンスされていた。世界選手権優勝・オリンピック入賞者の谷口浩美は、1993年に出場したが4位だった。


1966年大会では、63年・64年大会の優勝者のベルギーのオーレル・バンデンドリッシュが飛行機に乗り遅れたため不参加[10]。日本選手は1位から4位までを独占した[11]。順位と記録は以下のとおり。君原健二(優勝、2時間17分11秒)、佐々木精一郎(2位、2時間17分24秒)、寺沢徹(3位、2時間17分46秒)、岡部宏和(4位、2時間18分11秒)。


日本女子選手の優勝者は2019年現在、まだいない。過去同大会において日本女子の最高順位は、1992年に出場した山本佳子の2位である(2:26:26のゴールタイムは当時小鴨由水と並ぶ日本女子最高記録タイ記録だった)。ただし、日本出身者でのちに米国籍を取得したゴーマン美智子が、1974年1977年に優勝している。


前記の「50年後の優勝者招待」は2018年までに、資格を満たした4人がその栄に浴している。浜村は50年に到達する前の2000年5月に逝去した。

田中は2001年、フルマラソンは体調不良の理由等により参加出来なかったが、前日の交流レースに出場した。

山田は2003年にフルマラソンへ出場、4時間10分11秒で70歳以上の部で5位であった。山田は1995年から毎年出場しており、2007年までに17回出場、1998年から2001年まで70歳以上の部を4連覇している。

重松は2015年、心臓疾患を抱えるなどの事情からフルマラソン出走を断念したものの、レース2日前に実施の5kmファンランに参加した[12]

君原は2016年にフルマラソンへ出場、4時間53分14秒で完走を果たした[8][13]

采谷は2019年に招待の年度に当たっていたものの、出走も含めてボストンに赴いたかどうかも報じられていない(但し3年前の2016年に采谷は、君原の応援にボストンへ駆け付けている[14])。


以降日本人では、瀬古が2031年2037年、川内が2068年に「50年後の優勝者招待」として出場予定となっている。

歴代優勝者2011年 大会記録を出すジョフリー・ムタイの走り

開催日男子選手タイム女子選手タイム
000000001897-04-19-00001897年4月19日 John J. McDermott (USA)(NY)2:55:10  


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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