さらに、2013年大会からは、申込資格タイムが各年齢グループにおいて5分ずつ短縮され、また、それまで許されていた59秒の「おまけ」も廃止されたので、実質的に5分59秒資格が厳しくなった[4]。
資格要件の例外は、協賛団体、チャリティー団体[6]、スポンサー、海外からの旅行ツアーなどの商業枠、地元ランニングクラブなどで、全参加者の約5分の1はこの枠での参加とされる。
参考⇒ほかの世界の大規模マラソン:ニューヨークシティマラソン、シカゴマラソン、ロンドンマラソン、ベルリンマラソン、パリマラソン、東京マラソン Boston Athletic Association のウェブサイト[2]に基づく。 1927年に距離が42.195kmとされてからは、(のちに距離不足が判明した年度を除いて)レース時点での世界最高記録を上回った優勝者のタイムは世界最高記録として扱われてきた。しかし、2004年1月にIAAF(当時)が、マラソン記録の公認のために設定したコース条件(ゴール地点の標高がスタート地点の標高より42.195m以上低くなってはならない、スタートからゴールまでの直線距離は21.0975km以下など)を満たしていないため、同年以降は世界記録を超えても国際陸連公認の「世界記録」とは認められなくなった。2011年の大会でジョフリー・ムタイが出した2時間3分2秒のタイム(当時の世界記録を上回る)も、ボストンマラソンの記録ではあるが、世界記録としては扱われていない。なお、国際陸連公認記録とならない大会は、ワールドマラソンメジャーズ全6大会のうちボストンマラソンだけである。 優勝賞金は15万ドル(2018年時点)[7]。 優勝者は優勝年から50年後の大会に招待される。レースに参加することも可能である。日本人の例では、参加した場合には優勝年と同じ数字のゼッケンが与えられる[8]。
距離
1897年から1923年は39.429km、1924年から1926年は42.034km、1927年から1950年は42.195km、1951年から1956年は41.360km、1957年からは42.195km
記録の扱い
優勝者への栄典
日本人優勝者・参加選手1955年大会で優勝した濱村秀雄。そのうしろをボストン市長のジョン・B・ハインズ(John Hynes
日本人の当マラソン優勝者では、下記8人の男子選手がいる。
田中茂樹(1951年)2:27:45
山田敬蔵(1953年)2:18:51
濱村秀雄(1955年)2:18:22
重松森雄(1965年)2:16:33
君原健二(1966年)2:17:11
采谷義秋(1969年)2:13:49
瀬古利彦(1981年)2:09:26、(1987年)2:11:50 - 日本人では唯一の複数回(2度)優勝者である。
川内優輝(2018年)2:15:58[7]
このうち、田中・山田・浜村の走ったコースは後に距離不足が判明し、いずれも記録抹消の憂き目を見ている。山田の記録は当時「世界最高記録」とアナウンスされていた。世界選手権優勝・オリンピック入賞者の谷口浩美は、1993年に出場したが4位だった。
1966年大会では、63年・64年大会の優勝者のベルギーのオーレル・バンデンドリッシュ