2014年2月、ボルノ州のキリスト教徒が多く住む村が襲撃され、100人以上が犠牲となった[34]。
2014年4月、ボルノ州の学生寮を襲撃し女子生徒240人が拉致(ナイジェリア生徒拉致事件)。女子生徒らを「奴隷として売り飛ばす」との犯行声明がだされる。
2014年5月、ボルノ州の町を襲撃、少なくとも125人を殺害[35]。
5月29日、ジョナサン大統領は、前月の生徒拉致事件を念頭にボコ・ハラムに対し、対テロ全面戦争を行う決意を表明したが、この日以降も断続的に集落が襲われ多くの住民が殺害された[36]。
10月17日、ナイジェリア政府がボコ・ハラムとの間で、停戦と4月に拉致された女子生徒を解放することが合意されたと発表したが、戦闘は継続し女子生徒も解放されなかった。11月に入りボコ・ハラムが公表したビデオにおいて、指導者のアブバカル・シェカウは、停戦も女子生徒の解放も事実ではないとし、既に女子生徒はイスラム教に改宗した上で結婚させたとしている[37]。 1月3日、ボルノ州バガ郊外の多国籍軍基地を奪取し、バガで約2000人の住民を虐殺[38]。 1月11日、ナイジェリア北東部で少女の自爆相次ぐ、23人が死亡[39]。 1月30日、アフリカ連合がボコ・ハラムに対抗するため、周辺5ヵ国軍で構成する7500人規模の部隊創設を勧告[40]。 3月4日、ISILに忠誠を誓う[41]。 6月3日夜、ニジェール軍の駐屯地をボコ・ハラムが数百人の戦闘員により襲撃。ナイジェリア兵2人、ニジェール軍兵士30人が死亡。ニジェール軍側にとって、ボコ・ハラムによる過去最大の被害となった。ボコ・ハラム側の被害は不詳[42]。 8月7日、アブバカル・シェカウにより、組織が分裂したという情報を否定する動画が公開された[43]。 8月28日、ムハンマド・ブハリ大統領は、アブバカル・シェカウが負傷するとともに組織から追い出されたこと、また、新たに創始者の子息、アブムサブ・バルナウィ師が新たな指導者になったことを示した[44]。組織内部は、アブバカル・シェカウの組織とイスラム国西アフリカ州 12月23日、政府軍は、ボルノ州サンビサ森林地帯に構築されていたボコ・ハラム側の「キャンプ・ゼロ」を急襲して制圧した。制圧を受けてブハリ大統領は、「キャンプ・ゼロ」はボコ・ハラムの最後の拠点であったと強調し、戦闘員が隠れ潜む場所はもはやないと述べている[46]。 5月6日、2014年4月に北東部ボルノ州チボクの学校から拉致された276人の女子生徒のうち82人がスイスと赤十字社の仲介により、治安当局に拘束されていたボコ・ハラムの幹部5人と交換に解放された[47]。当初は、83人解放される予定であったが1人が戦闘員との結婚を理由に解放を拒否した[48]。 7月23日、ボルノ州マグメリ付近で資源調査を行っていたナイジェリア国営石油公社のチームが、ボコ・ハラムの戦闘員から襲撃を受け69人以上が死亡[49]。 1月2日、ボコ・ハラムの指導者であるアブバカル・シェカウが数ヶ月ぶりの動画メッセージを公開し、健在さをアピールするとともに「ナイジェリアで2017年末に発生した一連の襲撃事件を起こしたのはボコ・ハラムだ」と主張した[50]。 2月18日、ナイジェリア北東部ヨベ州ダプチの学校をボコ・ハラムが襲撃し、女子生徒110人を拉致した[51][52]。2014年に起きたナイジェリア北東部ボルノ州で女子生徒270人以上がボコ・ハラムに誘拐された事件の二の舞になるとの懸念が広がり、事件発生5日後の2月23日にナイジェリアの大統領(当時)であるムハンマド・ブハリは「これは国家的な惨事だ。起こり得たことを遺憾に思う」「政府は軍隊や偵察機を増派し、24時間態勢で同地域全体に目を配り、行方不明者全員の発見に尽力する」と述べた[52]。
2015年
2016年
2017年拉致した男性を処刑しようとするボコ・ハラムの戦闘員(2017年)
2018年