シュヴァーベン系の支流にホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家がある。
ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家はホーエンツォレルン城があるシュヴァーベンの本来の領地を統治し続けた。この家はプロテスタントに改宗せずカトリックのままで通していた。最後の当主であったホーエンツォレルン=ヘヒンゲン侯コンスタンティンは、1849年に侯領をプロイセン王国に譲渡して領邦君主の地位を放棄し、1869年に嗣子なく死去して家系は断絶した。
ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家も同時期まで領邦君主の家系として続いた後、最後のホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯となったカール・アントンが同じく1849年に侯領を譲渡したが、その後カール・アントンは1858年から1862年までプロイセン王国の宰相を務めている。カール・アントンの息子の一人は1866年にカロル1世としてルーマニア公に迎えられ、1881年にはルーマニア国王として即位した。以後1947年に王制が廃止されるまで、カール・アントンの子孫がルーマニア王家として続いた。最後のルーマニア国王ミハイ1世とその子孫は、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン姓を放棄した。なお、ルーマニア王家の系統は元来は傍系であり、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家本流の現在の当主はホーエンツォレルン侯カール・フリードリヒ
(英語版)である。タッシロ マルガレーテ・フォン・バーデン アルブレヒト・アヒレス
ツォレルン伯 -c.800
ブルクハルト1世
ツォレルン伯 -1061
フリードリヒ1世
ツォレルン伯 -1125
フリードリヒ2世
ツォレルン伯 -1145 ブルクハルト2世
(-1150/5)
フリードリヒ1世
ニュルンベルク城伯 ブルクハルト3世
ホーエンベルク伯(1世)
コンラート1世
ニュルンベルク城伯 フリードリヒ2世
ニュルンベルク城伯
ツォレルン伯 ブルクハルト4世
フリードリヒ3世
ニュルンベルク城伯 (シュヴァーベン系) ブルクハルト5世
ヨハン1世
ニュルンベルク城伯 フリードリヒ4世
ニュルンベルク城伯 ゲルトルート
=ドイツ王ルドルフ1世 アルブレヒト2世 ブルクハルト6世
ヨハン2世
ニュルンベルク城伯 ホーエンベルク伯家 ナーゴルト伯家
フリードリヒ5世
ニュルンベルク城伯
ヨハン3世
ニュルンベルク城伯 フリードリヒ6世/1世
ニュルンベルク城伯
ブランデンブルク選帝侯
ヨハン
クルムバッハ辺境伯 フリードリヒ2世
ブランデンブルク選帝侯 アルブレヒト・アヒレス
アンスバッハ辺境伯
クルムバッハ辺境伯
ブランデンブルク選帝侯 フリードリヒ(3世)
アルトマルク領主
マグダレーナ アイテル・フリードリヒ2世
ホーエンツォレルン伯
ブランデンブルク選帝侯(ヨハン・ゲオルクまで)、プロイセン公(アルブレヒト・フリードリヒまで)
アンスバッハ辺境伯
クルムバッハ辺境伯
ブランデンブルク選帝侯 アンナ・フォン・ザクセン
ヨハン・ツィーツェロ
ブランデンブルク選帝侯 フリードリヒ(2世/5世)
アンスバッハ辺境伯
クルムバッハ辺境伯 ジークムント
クルムバッハ辺境伯
ヨアヒム1世
ブランデンブルク選帝侯 アルブレヒト
マインツ大司教(選帝侯) カジミール