ホラーサーン
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9世紀以降、イラン系のターヒル朝、サッファール朝、サーマーン朝、ゴール朝[1]、テュルク系のガズニ朝、セルジューク朝、ホラズム・シャー朝が興亡を繰り返した。この間、ホラーサーンは、ペルシア文学復興の中心となり、諸都市は繁栄を極めた。1220?22年にモンゴルによって蹂躙されると、メルブやバルフが再び復興しなかったほどの壊滅的な打撃を受けた。一方、モンゴルの四ハン国のひとつ、イルハン朝で財政をつかさどったのは、経済について敏感なこの地方出身の貴族たちであった。14世紀後半になると、ティムール帝国の支配下に置かれ、ヘラートは、ティムールの子、シャー・ルフの首都となり、15世紀には、イスラムの学術・文化の一大中心地となった。16世紀、サファヴィー朝が、アムダリヤ川をウズベク族の南侵に対する防衛線とし、ホラーサーンを確保して、マシュハドをシーア派の聖地とした。
関連項目
ニーシャープール
トルクメニスタン
イスラム国ホラサン州 - アフガニスタンの反政府武装組織。既存の国境にとらわれない存在を標榜し、かつてのホラーサンの名を使用した。
脚注^ テュルク系ともいわれる。
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