ホビットの冒険
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"Misty Mountains"(霧ふり山脈)や"Bag End"(袋小路屋敷)といった説明的な名前の付け方は、古ノルド語のサガの命名法を連想させる[20]。ドワーフに味方するカラスの名前は、古ノルド語でカラスを意味する語に由来する[21]。ただし、『ホビット』のカラスの性質は古ノルド語や古英語での「戦死者の屍肉を漁る動物」というものとは異なっている。しかし、トールキンは単に演出として資料の表面を利用しただけではない。言葉の様式、とくに古語と現代語のつながりが物語の重要なテーマの一つになっている[22]。北欧のサガと『ホビット』に共通するもう一つの特徴は、文章入りの地図である[20]。トールキンが描いたドワーフの地図、口絵、ブックカバーなどイラストのいくつかはルーン文字アングロ・サクソン語のバリエーションが使われている。

古英語の文学作品、とくに『ベーオウルフ』に見られるテーマは、ビルボが足を踏み入れる世界を形作る上で大きな位置を占めている。『ベーオウルフ』の研究者だったトールキンは、この詩を『ホビット』を書く上で「もっとも価値ある資料」の一つだとしている[23]。彼は歴史的価値だけでなく、『ベーオウルフ』の文学的価値を高く評価した最初の学者とされており、トールキンの1934年の講義『ベーオウルフ 怪物と批評家(Beowulf: the Monsters and the Critics)』の講義録は、現在でも古英語の授業で使用されることがある。『ベーオウルフ』には、トールキンが『ホビット』で借用した、知恵を持つ巨大な竜などいくつかの要素が含まれており[24]、たとえば侵入者の臭いをかごうと竜が首を伸ばす描写は、若干の変更を加えているものの『ベーオウルフ』からそのまま使われている[25]。また、ビルボが秘密の通路を通ってスマウグに近づく描写は、『ベーオウルフ』に見られるものを忠実に再現している。他に『ホビット』と『ベーオウルフ』に共通するものとして、ビルボがゴクリや後にスマウグに「泥棒(thief)」と呼ばれていることや、後に湖の町(Lake-town)を破壊するにいたるスマウグの残虐な性格などが挙げられる[26]。宝を盗む泥棒や竜の知性と性格など、トールキンは『ベーオウルフ』のストーリーで十分に描かれていないと彼が感じた部分をより良くなるように書き直している[27]

もう一つの古英語の資料からの影響は、名前を持つ、ルーン文字の刻まれた名剣の存在である。そのようなエルフの剣を手に、ビルボはやっとのことで最初の英雄的な行動に出る。ビルボがその剣にSting(つらぬき丸)という名前を付けていることは、彼が『ベーオウルフ』からある種の文化的、言語的な風習を受け継ぎ、同時に彼が古代の世界に足を踏み入れていることを表している[28]。このような『ベーオウルフ』とのつながりは、ビルボが竜の洞窟から杯を盗みだし、竜を激怒させる場面でもっとも端的に現れており、この場面は伝統的な叙述パターンに則って書かれている。「……ビルボが竜から盗みを働くというエピソードは、物語の状況から自然に(あるいはしごく当然に)生まれたものである。この場面では、このような書き方以外は考えにくい。『ベーオウルフ』の著者も、私とほとんど同じ書き方をしただろうと思う。」とトールキンは書き記している[23]

魔法使いラダガストの名前はスラヴ人の神ラデガスト(英語版)(Radegast)からとられていると広く考えられている[29]

『ホビット』におけるドワーフの描写は、トールキンが好んで読んだユダヤ人とその歴史に関する中世の文書に影響を受けている[30]。大昔にはなれ山の故郷を失い、異国で自らの文化を保持しているという、ドワーフの性質はすべて中世のユダヤ人のイメージに由来し[30][31]、また、彼らの戦争を好む性格はヘブライ語聖書から来ている[30]。ドワーフの暦は晩秋に一年が始まるユダヤ人の暦を反映している[30]。トールキンは寓意を否定しているが、ビルボをつましい暮らしから引っ張り出すドワーフたちは、「ユダヤ人がいなくなってたちまち困窮してしまった西欧社会」の強烈なメタファーであると見られている[31]
出版

ロンドンの出版社ジョージ・アレン・アンド・アンウィンは、『ホビットの冒険』を1937年9月21日に出版した。初版印刷部数は1500部で、書評における高評価を受けて同年クリスマスまでには売り切れた[32]。初版にはトールキン自身による白黒の挿絵が多数使われ、表紙デザインもまたトールキンによる。翌1938年ホートン・ミフリン社よりアメリカ版が出版された際には、挿絵のうち四点がカラーとなった。アレン・アンド・アンウィン社も、1937年末に出版された第二刷では、カラーの挿絵を入れた[33]。本の人気にもかかわらず、 第二次世界大戦戦時下による紙の配給制度が1949年まで続いた影響もあり、この時期、本の入手はしばしば困難となった[34]

英語による改訂版は、1951年、1966年、1978年、1995年に出ており、また数多くの出版社により再版されている[35]。さらに、『ホビットの冒険』は世界40カ国語以上の言語に翻訳されており、複数の翻訳版のある言語もある[36]
改訂

1937年12月、『ホビットの冒険』を出版したスタンリー・アンウィンはトールキンに続編の執筆を依頼した。その返事としてトールキンは『シルマリルの物語』の草稿を送ったが、ジョージ・アレン・アンド・アンウィン社の編集者は、読者は「もっとホビットに関する物語を求めている」だろうとして、『シルマリルの物語』の出版を断った[37]。それからトールキンは「新ホビット(New Hobbit)」の執筆にとりかかり、これが最終的に『指輪物語』になった[37]。その過程でもとの物語の背景設定が変更されただけでなく、ゴクリのキャラクターにも根本的な変更が加えられることになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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