ホビットの冒険
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

アレン・アンド・アンウィン社も、1937年末に出版された第二刷では、カラーの挿絵を入れた[33]。本の人気にもかかわらず、 第二次世界大戦戦時下による紙の配給制度が1949年まで続いた影響もあり、この時期、本の入手はしばしば困難となった[34]

英語による改訂版は、1951年、1966年、1978年、1995年に出ており、また数多くの出版社により再版されている[35]。さらに、『ホビットの冒険』は世界40カ国語以上の言語に翻訳されており、複数の翻訳版のある言語もある[36]
改訂

1937年12月、『ホビットの冒険』を出版したスタンリー・アンウィンはトールキンに続編の執筆を依頼した。その返事としてトールキンは『シルマリルの物語』の草稿を送ったが、ジョージ・アレン・アンド・アンウィン社の編集者は、読者は「もっとホビットに関する物語を求めている」だろうとして、『シルマリルの物語』の出版を断った[37]。それからトールキンは「新ホビット(New Hobbit)」の執筆にとりかかり、これが最終的に『指輪物語』になった[37]。その過程でもとの物語の背景設定が変更されただけでなく、ゴクリのキャラクターにも根本的な変更が加えられることになった。

『ホビットの冒険』の初版では、ゴクリは自分から魔法の指輪をなぞなぞの賞品として「贈り物」とし、ビルボとゴクリは仲良く別れることになっていた[38]。改訂版では、指輪の抗しがたい魔力という新しいアイデアを反映し、ゴクリはビルボに対してより攻撃的で、指輪を失くすと大いに取り乱す。ゴクリは別れ際に呪いの言葉「どろぼう!どろぼう!どろぼう!バギンズめ!にくむ、にくむ、いつまでも、にくむぅ!」を浴びせかけ、これが『指輪物語』でのゴクリの描写の伏線になっている。

トールキンはこの「暗闇でのなぞなぞ問答(Riddles in the Dark)」の章の改訂原稿を、『ホビットの冒険』から『指輪物語』に物語をつなぐための変更のサンプルとしてスタンリー・アンウィンに送ったが、何年ものあいだ返事がなかった。トールキンが改訂版のゲラ刷りを受け取ったとき、彼は先に送ったサンプルが本文に組み込まれているを見つけて驚いた[39]。『指輪物語』では、初版のなぞなぞのくだりは指輪の魔力の影響を受けたビルボが作り出した「嘘」とされ、改訂版の『ホビットの冒険』に「本当の」真相が書かれている、ということになった[40]。この改訂版は第2版として1951年にイギリスとアメリカで出版された[41]

1960年にトールキンは『ホビットの冒険』のトーンを『指輪物語』に合わせるべく、新たな改訂作業に取り掛かった。しかし、第3章までいったところで作業を放棄してしまった。これは、改訂中の版は「ホビットらしくない」という批判を受け取ったからで、そのとき書き直していた文章はそれまでの陽気な雰囲気やテンポのよさの多くが失われていた[42]

1965年にアメリカのエース・ブックス社が『指輪物語』の海賊版のペーパーバックを販売した後、ホートン・ミフリン社とバランタイン社はトールキンに『ホビットの冒険』の新訂とアメリカでの著作権の更新を打診した[43]。このときのテクストが1966年の第3版になった。トールキンはこれを、『ホビットの冒険』を『指輪物語』や未刊の『シルマリルの物語』の当時の神話体系により近づけるための良い機会と捉えた[44]。この版での変更点は少なく、たとえば初版や第2版の63ページで「いまはノームと呼ばれているエルフ(elves that are now called Gnomes )」[45][46]となっている箇所が、第3版では「私の血縁の、西方の上のエルフ(High Elves of the West, my kin)」[47]となっている。トールキンは初期の文章ではノーム(gnome)という語を上のエルフの第二の族、すなわちノルドール(「知識深きエルフ(Deep Elves)」)を指すものとして使っていた。これは、ギリシア語で知識を意味するグノーシス(gnosis)に由来するノームという語は、もっとも賢いエルフであるノルドールにふさわしいと考えたためである。しかし、ノームは16世紀のパラケルススの著作の影響で「庭小人」を指すのが一般的であることから、トールキンはこの語を使うのをやめた[48]
没後に出版されたエディション

トールキンの死後、テキストの生成、修正、そして発展に関する注釈を施した2つの特別版が出版された。

ダグラス・アンダーソンの『注釈版ホビット(英語版)(The Annotated Hobbit)』(1988年)は、これまでに出版された『ホビットの冒険』のすべてのテキストが注釈やイラストとともに収録されている。増補改訂版(2002年)では「エレボールの遠征(英語版)」のテキストが追加された。アンダーソンの注は、『ホビット』を執筆する上でトールキンが使用した資料を明らかにしており、トールキンがそれぞれの改訂で施した修正の詳細が記されている。注釈に加え、フィンランド語版のトーベ・ヤンソンのイラストをはじめとする各国語版の挿絵が使用されている[49]。また、トールキンが1923年に書いた詩"Iumonna Gold Galdre Bewunden"(「古の人間の魔法の黄金」)など、これまでほとんど知られていなかった多くの短いテキストが含まれている。

ジョン・ラトリフによって出された2巻本の『ホビット研究(英語版)(The History of the Hobbit)』(2007年)は、『ホビットの冒険』の初稿や未決定稿が注付きで収録されている。ラトリフの注は、執筆当時とそれ以降のトールキンの学問上の著作と創作作品のつながりを明らかにしている。さらに、未刊のトールキンによる挿絵、および1960年代にトールキンが書きかけて放棄した版が付属されている。ラトリフの解説はトールキンのテキストは別にまとめられており、トールキンの草稿だけを物語として読むこともできる[21]
挿絵と装丁

トールキンの書簡と出版社の記録によると、トールキンは本全体の挿絵と装丁に関わったことがわかる。トールキンはすべての要素に関して何度もやり取りを行い、こだわり続けた。レイナー・アンウィンは出版回想録の中で次のように言っている:「1937年だけでもトールキンはジョージ・アレン&アンウィン社宛に26通もの手紙を書いている。細部のわたり雄弁で、しばしば辛辣だが非常に丁重で腹立たしいほどに的確なものだったが、今日ではどんなに有名だろうと、あれほどまでに綿密な配慮を受ける作家はいないだろう。」[50]ルーン文字のアルファベットと、それに対応する英語の文字。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:123 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef