ホッブズ
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1592年 - ウェストポートの教会学校入学。

1600年 - 父の死に伴って叔父フランシス・ホッブズに引き取られる。ロバート・ラティマーの私立学校に入学。

1603年 - オックスフォード大学入学。

1608年 - 2月5日にオックスフォード大学卒業[4]。第2代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの家庭教師となる

1620年 - ベーコンの助手として彼の口述筆記をしたり、著作をラテン語に訳したりする。

1629年 - 自身の手によるトゥキディデスの『戦史』の翻訳を公表。

1631年 - 第3代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの家庭教師となる。

1636年 - ガリレオを訪問。

1637年 - 感覚について小論文(Little Treatise)発表。

1640年 - 5月9日に『法学原理』(The Elements of Law)発表。短期議会4月13日 - 5月5日)の進展に伴ってイングランド内の政情が不安定化したため、フランスの首都パリへ亡命。

1642年 - 『市民論』(De Cive)を匿名で発表。

1645年 - イングランド王太子(後のチャールズ2世)がパリに亡命。ホッブズが彼の数学教師となる。

1647年 - イングランド国教会の洗礼を受ける。

1651年 - 『リヴァイアサン』を出版。

1655年 - 『物体論』(De Corpore)を出版。

1656年 - 『自由、必然、偶然に関する諸問題』を発表。

1658年 - 『人間論』(De Hormine)を出版。

1668年 - 『ビヒモス』(Behemoth)を出版

1674年 - 『イリアス』と『オデュッセイア』の翻訳を発表。

1679年 - 12月4日に死去。

人工的な国家理論

リヴァイアサン』は、ホッブズの代表的な著作であり、17世紀ヨーロッパにおける国家理論の白眉である。この著作によって、王権神授説に立つ同時代のイングランドの王党派からは無神論者であるとされ、共和派からは専制政治擁護者と見られた。現代に至るまでホッブズの評価は屈折しており、相反する立場から全く異なったホッブズ観が提示されている。
概要

この著作は、権威(Authority)を「いかなる行為でもなしうる権利」と定義づけており、国家の権威主義独裁主義専制主義全体主義)を擁護した論説であるという側面がある。

ホッブズは前提として、人間の自然状態は闘争状態にあると規定する。彼はまず、生物一般の生命活動の根元を自己保存の本能とする。その上で、人間固有のものとして将来を予見する理性を措定する。理性は、その予見的な性格から、現在の自己保存を未来の自己保存の予見から導く。これは、現在ある食料などの資源に対する無限の欲望という形になる。なぜなら、人間以外の動物は、自己保存の予見ができないから、生命の危険にさらされたときだけ自己保存を考えるからである。ところが人間は、未来の自己保存について予見できるから、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする[5]。この優位は相対的なものであるから、際限がなく、これを求めることはすなわち無限の欲望である。しかし自然世界の資源は有限であるため、無限の欲望は満たされることがない。人は、それを理性により予見しているから、限られた資源を未来の自己保存のためにつねに争うことになる。またこの争いに実力での決着はつかない。なぜならホッブズにおいては個人の実力差は他人を服従させることができるほど決定的ではないからである。これがホッブズのいう「万人は万人に対して狼」「万人の万人に対する闘争」である。ただしこの前提は、友枝高彦らの批判もある(「#批判」を参照)。

ホッブズにおいて自己保存のために暴力を用いるなど積極的手段に出ることは、自然権として善悪以前に肯定される。ところで自己保存の本能が忌避するのは死、とりわけ他人の暴力による死である。この他人の暴力は、他人の自然権に由来するものであるから、ここに自然権の矛盾があきらかになる。そのため理性の予見は、各自の自然権を制限せよという自然法を導く。自然法に従って人びとは、各自の自然権をただ一人の主権者に委ねることを契約する。だが、この契約は、自己保存の放棄でもその手段としての暴力の放棄でもない。自然権を委ねるとは、自然権の判断すなわち理性を委ねることである。ホッブズにおいて主権は、第一義的に国家理性なのである。また以上のことからあきらかなように、自然状態では自然法は貫徹されていないと考えられている。
その影響と解釈

ホッブズが展開した国家理論は、キリスト教会社会のカルヴァン主義のそれに似た自然状態を想定し、そこから人工的に国家モデルをつくりあげたという点では近代国家理論のさきがけであった。前提の自然状態を措定した上に契約神学が設定されたように、現実の国家社会との間に社会契約を設定するという理論が発展する。このことはホッブズ以前の社会契約が既成国家の説明原理にとどまり、基本的に「支配=服従契約」と見ているのに対し、平等な個人間の社会契約による国家形成という新しい視点を開いた。またこのような社会契約の要因として、人間の自然理性を重視していることから啓蒙主義的な国家理論であるということができる。

ホッブズの理論を批判的に継承したのは、ジョン・ロックルソー社会契約論)であるが、両者とホッブズとの決定的な違いは、ホッブズが自然状態において自然法が不完全であるとするのに対し、両者は自然状態において既に自然法が貫徹されていると想定していることである。

このホッブズの政治理論の性格および歴史的意義については、現在4つの主要な解釈がある。
絶対主義の政治理論説 - 以下の3点を主要な根拠として、ホッブズの政治理論が絶対主義王政を支持するものであるとする説。

ホッブズが社会契約を服従とみなしていること。

主権者が一者であり、主権が国家理性であること。

主権者が国内の宗教を含めてあらゆる国内的、国際的政策を統制できるとしていること。


近代的政治理論説 - 以下の2点を主要な根拠として、ホッブズの政治理論が近代的で民主主義的な国家理論であるとする説。

無神論的、唯物論的世界観、また理性主義に基づく平等思想を唱えていること。

分析的に導き出したアトム的人間から構成的に人工の国家を導き出すという科学的手法をとっていること。


伝統的政治理論説 - 以下の2点を根拠として、ホッブズの政治理論が伝統的なキリスト教倫理思想に則っているとする説。

ホッブズの自然法思想がデカルト思想に影響される前から既に形成されていたこと。

宗教に対する言及が、無神論的立場ではなく信仰によっていると考えられること。


自然状態的政治理論説 - 以下の2点を根拠として、ホッブズの政治理論が究極的に自然状態の理論であり、闘争の政治理論であるとする説。

自然法が個人規模での闘争を止揚して国家規模の闘争を導いているにすぎず、本質的に闘争状態であることが変わっていないこと。

国家状態が自然法に基づくとされていること。

この中で、1.と2.の見方が古典的で、現在でも有力な説である。
著述「w:Thomas Hobbes#Works (Bibliography)」も参照
主な訳書


選集『世界の大思想13 リヴァイアサン 国家論』水田洋・田中浩訳、河出書房新社、1966年、オンデマンド版2005年

『リヴァイアサン』 水田洋訳、岩波文庫(全4巻)、1982-92年。改訳版

『リヴァイアサン I・II』 永井道雄上田邦義訳、中央公論新社中公クラシックス〉、2009年。編訳版

元版・選集『世界の名著28 ホッブズ』永井道雄責任編集、中央公論社、1971年


『ホッブズの弁明/異端』水田洋編訳、未來社<転換期を読む>、2011年

『哲学原本』(『哲学原論』とも訳される、ラテン語:Elementa Philosophiae、英語:Elements of Philosophy)

『物体論』『人間論』『市民論』本田裕志訳、京都大学学術出版会「近代社会思想コレクション」、順に2015年、2012年、2008年ラテン語原文に基づく初めての完訳版、『哲学原本』の第一部「物体論」、第二部「人間論」、第三部「市民論」を、個別に出版。

『哲学原論/自然法および国家法の原理』 伊藤宏之・渡部秀和訳、柏書房、2012年同じく完訳版だが、原文はラテン語に基づくが、上記は英語版での用語表記による訳。


『哲学者と法学徒との対話』 田中浩・新井明・重森臣広訳、岩波文庫、2002年

『ビヒモス』 山田園子訳、岩波文庫、2014年。初の完訳版


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