この米ソ間のホットラインは、1967年の6月に起きた第三次中東戦争(六日戦争)の際に初めて利用された。この時は、開戦後まもなくモスクワから国防総省にかかってきたもので、時の大統領と首相であったジョンソン大統領とソ連のコスイギン首相が停戦に向け努力する旨を確認し合っている[3]。 米ソホットラインが確立される20年前、第二次世界大戦中の1943年から終戦後の1946年まで、ダウニング街10番地(イギリス首相官邸)およびホワイトホールのイギリス大蔵省庁舎地下の内閣戦時執務室とワシントンD.C.のホワイトハウスとの間にホットラインが設置されていた。この回線は、SIGSALYと呼ばれる世界初の秘話装置によって通話内容が秘匿化されていた。 北京とモスクワの間のホットライン接続は、1969年の中ソ国境紛争の際に使用された。しかし中国側はソ連側の和平の試みを拒否し、ホットラインは撤去された。中国とロシアの間のホットラインは、1996年に復活した[4]。 シャルル・ド・ゴールフランス大統領は、1966年にソ連を訪問した際に、パリとモスクワの間にホットラインを設置すると発表した。このホットラインは、1989年にテレックスから高速ファックス機にアップグレードされた[4]。 ロンドンとモスクワの間のホットラインは、1992年に両国間の友好条約が締結されるまで正式には確立されなかった。2011年にウィリアム・ヘイグ外務大臣がモスクワを訪問したときにアップグレードが発表された[4]。 2004年6月20日、インドとパキスタンの両国は、核戦争につながる可能性があると誤解されるのを防ぐため、核実験禁止を延長し、両国の外務大臣の間にホットラインを設置することに合意した[5]。このホットラインは、アメリカ軍将校の助けを借りて設置された。 2008年、ソ連に代わって経済的・軍事的に台頭してきた中華人民共和国(中南海)との間にアメリカ合衆国(ペンタゴン)はホットラインを開設した[6]。2015年にはサイバー攻撃やスペースデブリの問題化を受けてサイバー空間[7]や宇宙空間[8][9]の非常事態まで対象が拡大していることが特徴的である。 インドと中国は、両国の外相の間のホットラインの設置を発表し、関係強化と「政治的相互信頼」の構築へのコミットメントを繰り返した[10]。 2015年8月現在、ホットラインはまだ運用されていない[11]。 2013年2月、尖閣諸島問題により日中ホットラインの設置に新たな弾みがついた。それまでも、設置の合意はされていたが、緊張が高まったために設置されなかった[12]。
アメリカ=イギリス間
ソ連=中国間
フランス=ソ連間
イギリス=ソ連間
インド=パキスタン間詳細は「en:Islamabad?New Delhi hotline」を参照
アメリカ=中国間詳細は「en:Beijing?Washington hotline」を参照
中国=インド間
日本=中国間
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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