畜産業の盛況により空前の繁栄を誇っていたウルグアイだが、同時に貧富の差の拡大や社会構造の変化により社会不安が起きていた。バッジェはこれに応え、スイスを模範にして労働組合の結成、8時間労働の実施、スト権の確立、最低賃金の設定など、失業保険や老齢年金制度の創設などさまざまな社会保障政策を実施し、ウルグアイを南米で唯一の福祉国家とした。また、カトリック国教制の廃止や教育の無償化、死刑廃止などさまざまな改革を行い、以後40年ほど隣国アルゼンチンをはじめとする他のラテン・アメリカ諸国とは異なり、ウルグアイは彼の路線の上で政治的安定を誇り、繁栄しつづけた。
ウルグアイの伝統的二大政党の内戦を収め、ウルグアイを安定した民主主義国家として確立し、1952年には大統領制が廃止され執政評議会制度が行政を担うようになった。こうしてウルグアイは南米のスイスとまで呼ばれるようになるのである。
彼の政治改革はバジズモと呼ばれ、後に隣国アルゼンチンのフアン・ペロンなどに代表されるポプリスモに引き継がれた。しかし、この高福祉政策はウルグアイ経済が繁栄している間はともかく、後に羊毛や畜産品の価格が低迷するとともに、第一次産業に大きく依存していたウルグアイ経済を停滞させ、軍事政権が台頭する一因ともなった。
大恐慌の4日前に73歳でこの世を去った。 中川文雄、松下洋、遅野井茂雄『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史U』山川出版社、1985年 先代
脚注^ 中川、松下、遅野井、1985年、309-310ページ。
参考文献
フアン・リンドルフォ・クエスタス
1903 - 1907次代
クラウディオ・ウィリマン
先代
クラウディオ・ウィリマン ウルグアイ東方共和国大統領
1911 - 1915次代
フェリシアーノ・ビエラ
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