帰国後、メンドーサで妻子ともどもと穏やかな生活を送ることを夢見ていたが、妻の突然の死の後、傷心を抱いた彼は、激しくなるブエノスアイレスと地方諸州の戦争に巻き込まれるのを嫌って娘とともに1824年、イギリスに亡命した。その後アルゼンチンに帰国しようとしたが、船上で罵声を浴びせられて再びヨーロッパに戻った。
最後サン・マルティンの写真。1848年、パリにて。
最後はフランスのブーローニュ・シュル・メールで余生を送り、失意の内に死去した。
サン・マルティンがラテンアメリカで再評価されるのは1880年代に入ってからだった。
人物像将軍の柩(ブエノスアイレス大聖堂)
南アメリカをスペインから独立させるために果たした業績はシモン・ボリーバルと比較すると、同等とまで言うことは難しいが、現在でも南米南部の独立の英雄として広く尊敬を集めており、特にアルゼンチンでは彼の命日を国民の祝日として定め、紙幣の肖像画(現行の5アルゼンチン・ペソ紙幣)にも採用している。
現在サン・マルティンの柩は、ブエノスアイレスの五月広場に面したブエノスアイレス大聖堂に、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女像に囲まれて安置されている。
出典^ Jose de San Martin Argentine revolutionary
先代
スペイン統治ペルーの国家元首
護国卿:1821 - 1822次代
ホセ・デ・ラ・マール
(執政評議会大統領)
表
話
編
歴
ペルー共和国大統領 (1821-1822)
19世紀
ホセ・デ・サン=マルティン
ホセ・デ・ラ・マール
マヌエル・サラサール・イ・バキハーノ
ホセ・デ・ラ・リバ・アグエロ
ホセ・ベルナルド・デ・タグレ
シモン・ボリバル
アンドレス・デ・サンタ・クルス
ホセ・デ・ラ・マール
アグスティン・ガマーラ
ペドロ・パブロ・ベルムデス
ルイス・ホセ・デ・オルベゴソ
フェリペ・サンティアゴ・サラベリー
アンドレス・デ・サンタ・クルス
アグスティン・ガマーラ
マヌエル・メネンデス
フアン・クリソストモ・トリソ
フランシスコ・ビダル
ドミンゴ・エリアス
ドミンゴ・ニテロ
フスト・フィゲロラ
マヌエル・イグナシオ・デ・ビバンコ
ラモン・カスティージャ
ホセ・ルフィーノ・エチェニケ
ラモン・カスティージャ
ミゲル・デ・サン・ロマン
フアン・アントニオ・ペセト
マリアーノ・イグナシオ・プラード
ペドロ・ディエス・カンセコ
ホセ・バルタ
トマス・グティエレス
マリアーノ・イグナシオ・プラード
マヌエル・プラード
マリアーノ・イグナシオ・プラード
ルイス・ラ・プエルタ
ニコラス・デ・ピエロラ
フランシスコ・ガルシア・カルデロン
リサルド・モンテーロ
ミゲル・イグレシアス
アントニオ・アレナス
アンドレス・アベリーノ・カンセレス
レミヒオ・モラレス・ベルムデス
フスティアーノ・ボルゴーニョ
アンドレス・アベリーノ・カンセレス
ニコラス・デ・ピエロラ
エドゥアルド・ロペス・デ・ロマーニャ
20世紀
マヌエル・カンダモ
セラピオ・カルデロン
ホセ・パルド・イ・バレーダ
アウグスト・ベルナルディーノ・レギーア・イ・サルセード
ギジェルモ・ビジングルスト
オスカル・ベナビデス
ホセ・パルド・イ・バレーダ
アウグスト・ベルナルディーノ・レギーア・イ・サルセード
マヌエル・マリア・ポンセ・ブロウセト
ルイス・ミゲル・サンチェス・セロ
リカルド・レオンシオ・エリアス・アリアス
グスタボ・ヒメネス
ダビッド・サマネス・オカンポ
ルイス・ミゲル・サンチェス・セロ
オスカル・ベナビデス
マヌエル・プラド・イ・ウガルテチェ
ホセ・ルイス・ブスタマンテ・イ・リベロ
マヌエル・オドリーア
セノン・ノリエガ・アグエロ
マヌエル・オドリーア
マヌエル・プラド・イ・ウガルテチェ
リカルド・ペレス・ゴドイ
ニコラス・リンドレー・ロペス
フェルナンド・ベラウンデ・テリー
フアン・ベラスコ・アルバラード
フランシスコ・モラレス・ベルムデス
フェルナンド・ベラウンデ・テリー
アラン・ガルシア
アルベルト・フジモリ
21世紀
バレンティン・パニアグア
アレハンドロ・トレド
アラン・ガルシア
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