ホスピス
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英国の10万人を超える人々にボランティアの機会を提供している[50]
エジプト

「終末期の緩和ケアのグローバルアトラス」によると、終末期に緩和ケアを必要としている成人の78%と子供の98%が低中所得国に住んでいる。それにもかかわらず、エジプトのホスピスと緩和ケアの提供は限られており、人口の規模に比べてまばらにしか利用されていない[51]。これらのサービスの開発に対するいくつかの障害には、一般の認識の欠如、オピオイドの利用可能性の制限、および全国的なホスピスと緩和ケアの開発計画の欠如が含まれている[52]。過去10年間になされた主な取り組みは、2010年に個人によってなされた。それは、主に在宅でのホスピスサービスを提供する初めてのNGO組織の登場であった[53]。2008年、カイロ大学における緩和医療ユニットの開始とアレクサンドリアにおける入院緩和ケア病棟がそれである[52]。在宅ケアと独立型ホスピスの両方のモデルは世界的に存在するが、エジプトでは患者とその家族が自宅で死ぬという文化的および社会的好みにより、在宅ホスピスと緩和ケアの開発に焦点を当てる傾向がある[54]
イスラエル

イスラエルで最初のホスピスユニットは1983年に開設された[55]。 20年以上の後、2016年の調査によると、イスラエルの一般市民の4%%は、医師の70%が緩和の原則に従って患者を治療するスキルを持っているといっているにもかかわらず、そんなことを聞いたことがないと言っている[56]
日本のホスピス

日本で最初のホスピス・ケアを提供する病床は、大阪の淀川キリスト教病院に設けられた。当時のホスピス長、柏木哲夫の功績によるものである。この病院での実質的なホスピス・ケアは、1973年から始められた[57]。独立した病棟としてのホスピスは、1981年長谷川保による聖隷三方原病院浜松市)の末期がん患者などのためのホスピス(緩和ケア病棟)開設が日本で最初である[57]。両病院は1990年4月25日に日本で初めて緩和ケア病棟として承認を受けている。日本で、完全独立型のホスピスとして初めて完成したのは日本財団笹川陽平会長)などの支援を受けて設立されたピースハウス病院(日野原記念ピースハウス病院と改名、2015年3月営業を停止、2016年4月から再開)である(1993年)。従来、ホスピスの開設は主に民間の医療機関等が行ってきたが、公的な機関も開設に乗り出すようになっている。日本で最初の国立のホスピスが、1987年千葉県の国立療養所松戸病院(現在の国立がん研究センター東病院の前身、1992年に千葉県柏市へ移転)に開設され、その後、全国各地の国公立病院にホスピス開設の動きが広がっている。

がんおよびAIDS等により治癒が難しくなった患者を対象としている。入院費は公的医療保険が適用され、高額療養費制度も受けられる。設置基準で病室の半数は無差額でなければならないと定められている。
その他の国々

オーストラリアのホスピスケアは、ロンドンでのセントクリストファーズの開業より79年前に始まる。アイルランド慈善修道女会がシドニー(1889年)とメルボルン(1938年)にホスピスを開設したことによる。ニュージーランドで最初のホスピスは1979年に開設された[58]。ホスピスケアは1970年代半ばにポーランドに導入された[59]。日本は2006年7月で公式には160か所のホスピスを設置していることになっているが、その最初のものは1981年に開設されている[60]インドで開かれた初のホスピス、シャンティ・アヴェドナアシュラムは、1986年にボンベイで開設された[61][62][63][64]

北欧諸国での最初のホスピスは、1988年、フィンランドタンペレで開設されたビルカンマーン(Pirkanmaan)・ホスピスである[65]中国の最初の近代的な独立ホスピスは、1988年に上海で開設された[66]台湾で最初のホスピスユニットは1990年に開設されたが、台湾ではホスピスという言葉は、「安息的なケア」を意味している[31][67]香港で最初の独立型ホスピスは1992年の開設である。ホスピスという用語は、中国語では「良き終末のためのサービス」と訳されている[31][68]。国際ホスピス研究所は1984年に設立された[4]
世界ホスピスと緩和ケアの日

2006年、最初の世界ホスピスと緩和ケアの日が、世界中のホスピスと緩和ケアの発展を支援するホスピスと緩和ケアの全国および地域組織のネットワークである世界緩和ケア連盟によって開催された。イベントは毎年10月の第2土曜日に開催されることになっている[69]
在宅医療でのホスピス

在宅医療の場でのホスピスの仕事をする看護師は、痛みを和らげ、患者と患者の家族を総合的に支援することを目指している。患者は、生存期間が6か月未満の場合、またはケアの焦点を治癒的ケアから快適なケアに移したい場合にホスピスケアを受けることができる。ホスピスケアの目標は、在宅死亡が必ずしも最良の結果をもたらすとは限らないことを理解し、患者と家族の両方の要求を満たすことである。メディケアはホスピス治療のすべての費用を負担している[70]

ホスピス訪問看護師は、身体的ケアと心理社会的ケアの両方に熟練している必要がある。ほとんどの看護師は、医師、ソーシャルワーカー、そして場合によってはスピリチュアル・ケアカウンセラー(宗教的なカウンセラー、往々にして聖職者がこれに当たることが多い)を含むチームと協力して働いている。看護師の義務のいくつかは、家族を安心させること、そして適切な痛みの制御を確実にすることを含んでいる。看護師は患者と家族に無痛死の可能性があることを説明する必要があり、この場合は定期的なオピオイド鎮痛薬が適切である。看護師は、投薬が適切であることを確認するために医療提供者と緊密に協力する必要があり、寛容の場合には、投薬量が引き上げられます。看護師は文化の違いやニーズを認識し、それらを満たすことを目指す必要がある。看護師はまた、死後の家族を支援し、家族を死別サービスにつなぐことになる[70]
ホスピスの種類

一般的に、ホスピスを分類するとすれば以下の5種類ほどに分類できる。
病院内病棟型
病院内でホスピスを行う病棟あるいは、階を定めて行うもの。
病院内独立型

完全独立型
ホスピスのみを行う施設 他の
診療科を持たないため、緩和医療以外の具体的な治療を行わない。
病院内緩和ケアチーム
病院内に緩和医療を行うための専門家を用意し、患者からの依頼などによって主治医とは別に、緩和医療を行う。
在宅ホスピス

ホスピスとボランティア

ホスピス・ケアには医師看護師薬剤師だけでなく、歯科衛生士作業療法士などの医療職や医療ソーシャルワーカーヘルパーなどの福祉職と、スピリチュアルケアを担当する宗教家、例えばキリスト教系の病院ではチャプレンなどの多くの職種がチームを組んで関わる。そのチームの中にはボランティアも含まれる。ボランティアの活動は多岐にわたり、行事の手伝い・散歩の付き添い・お茶配り・庭園整備・話し相手・買い物・運営募金集めのバザー活動など資格がなくてもできることが主体となる。活動の主は雑用的なことであるが、専門職が患者のケアに注力できるようにホスピス全体を下支えすることも、最終的には患者のためになるという意識のもとに活動しているボランティアも多い。医療知識や接遇などの専門的なトレーニングを受けた後に病棟内で活動することが一般的である。医療側でもなく患者側でもない存在が、時には患者にとって安らげる存在となることもある。日本で唯一のホスピスボランティアを専門に行う学生サークル「マナの会」が聖隷クリストファー大学にあり、看護学生が中心となり聖隷三方原病院にて週末に活動を行っている。
ホスピスを舞台にした映画

病は気から 病院へ行こう2 (1992年)

病院で死ぬということ(1993年)


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