ホイッグ史観
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マルクスらの唯物史観イデオロギーとしては異なるが、どちらも進歩史観で共通点も多く、批判・否定よりも同調することが多かった[5]中世前期史においてもアングロサクソン、特に七王国時代のイングランドはゲルマン的な自由な社会だったと永らく主張されていた。これは一般自由人学説とよばれ、自由主義の広がりを追い風に通説となった。しかしこれは自由主義の退潮と前後して批判を受け、通説的立場を失ってきている[6]マコーリーはホイッグ史家の代表的存在である。現在でこそホイッグ史観は厳しく批判され支持者を失っているが、最高の歴史家は同時に最高の作家であるという伝統の強いイギリスにおいて、マコーリーの物語力は高く評価されてきた
歴史

元来、英国史の概念で、トーリー党(王党派、後の保守党)に政治的に優越したホイッグ党(議会派、後の自由党、現在の自由民主党)が、自派に有利な歴史記述を行ったことに由来する。トーマス・マコーリー1800年 - 1859年)『History of England(イングランド史)全5巻』(1848年 - 1861年)がホイッグ史観の代表的な歴史書である。狭義では、ブルジョワジーを擁護し、資本主義発展を目指す自由主義を指す。ホイッグ史観に対する批判を定式化したのは、ハーバート・バターフィールド1900年 - 1979年)の『Whig Interpretation of History』(1965年、邦訳書は『ウィッグ史観批判:現代歴史学の反省』)である。

バターフィールドは17世紀に大文字の「科学革命」(Scientific Revolution)が生じたと説いたが、トーマス・クーン1922年 - 1996年)は(小文字の)科学革命論で、科学史を断続的なパラダイムの変化として説いた。異なるパラダイムを客観的に俯瞰、通約する立場は成立しえないという相対主義である。今日、「ホイッグ史観」はクーンと結びつけて、科学史上の概念として語られることもある[7]
日本への影響

日本が海禁政策解除・明治維新を迎えて西洋の文物を熱心に取り入れようとしていた時期は、ホイッグ史観が正統の地位を得た、まさにその時代であった。蒸気機関などの科学技術を積極的に学ぶ一方で、イギリス帝国の歴史を知ろうとする者もいた──福沢諭吉はその代表格である。1854年を皮切りに、玉石混淆ながらもイギリスの歴史書は毎年のように出版されていた[8]が、理解の深さにおいて福沢は他の存在に抜きん出ていた[9]。西洋列強に追いつくためにはまずもって技術の吸収が必要であったが、福沢は社会の仕組み、特に議会に興味を示し、理解するためには歴史の参照が不可欠と悟った[10] たとえば、それまで日本では、3人以上が集まって政治を談義するのは「徒党」という重罪だった。こうした伝統のもとにあった日本人にとって、おおっぴらに政治を話し合う議会なるものはまるで意味不明の存在だった[11]。こうして書かれたのが『西洋事情』『文明論之概略』などの著書であり、イギリス帝国の繁栄の根本を探るという問題意識から、また当時の入手できる書物という点から、自然とホイッグ史観の歴史書に触れることになった。

徳富蘇峰もマコーリーの影響を受けている[12]

いっぽう竹越与三郎のように、専門的で退屈・小難しい歴史をきらい、多くの人にわかりやすい歴史を書くべきという観点からホイッグ史観を選択する者もいた。明治時代の歴史書は実証重視の考証史学と民間史学が分かれており[13]、後者を選択した竹越は『格朗?(クロムウェル)』『マコウレー』などを著し、日本のマコーリーとの異名を賜った[14]

福沢・竹越ら多くの知識人によって紹介されたイギリスは、ホイッグ史観にもとづく肯定的・楽天的イメージが伴うものだった。こうしたイギリス理解は、日本人の中のイギリスの印象をほぼ決定づけ[15]、さらに自由民権運動の思想的・理論的下地を提供する役割もはたした。マコーリーらの間接的影響に成立した民間史学は、戦後の唯物史観に受け継がれているとする指摘もある[16]
脚注[脚注の使い方]^ 栄田 1994, p. 174-176.
^ バターフィールド、pp.50-70.
^ 名誉革命に対する伝統的解釈は一例となりうる。すなわち「ジェームズ2世によるカトリック絶対主義の恐怖に覆われていたイングランドを、オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)が自らの損得を顧みず救った」という解釈がそれで、ジョン・ハムデンJrやエドマンド・バークをへてトマス・マコーリーの『イングランド史』によって大成した。1950年代まではこれが通説となっていたが、現在では名誉革命すなわちGlorious Revolutionという名称にも歴史家たちは慎重になりつつある。Schwoererは「1688-89年におきた出来事を是認し、賞賛するように仕向けたプロパガンダであるといえる。この形容を無批判に用いることは、いかに視野狭窄に陥っているかを声高に主張するようなもの」と述べる。Schwoerer, pp. 1-3.
^ George Macaulay Trevelyan. 『イギリス史』『イギリス社会史』などの著作は和訳されている。
^ のちにアナール学派や修正主義歴史学などの実証研究によって、1970年代 - 90年代にかけて、ホイッグ史観・唯物史観は共倒れ的に地位を失っていった。近藤、p42およびf.n.2.
^ 自由な農民チェオルルが多数を占める自由社会から、ノルマン・コンクエストをへて中世封建制に移行したとする学説がそれである。しかしチェオルルが自由とはいえない状況にあったことが史料から次第に明らかにされ、従来の通説は切り崩されてきている。青山、pp.2-14(第1章 学説史的整理/第1節 欧米学界の学説史的動向)および pp.62-78(第2章 「チェオルル」とは何か/第3節 中層的自由人の「自由」)、特にp2。
^ 後掲村上「ホイッグ史観の超克は何をもたらすか」など、広く進歩主義の象徴としてホイッグ史観が言及される例がすくなからず存在する。
^ 『明治日本とイギリス革命』, p. 94-96.
^ op. cit., p66.
^ op. cit., p67.
^ op. cit., pp. 53-55.
^ 今井宏 1974, p. 4-9.
^ 竹越に立場が近い山路愛山は、考証史学に対して「歴史に詳しい者が読んでも退屈で、試験の参考書として使う以外はあまり興味を湧かせない」等と歯に衣着せぬ批判を展開した。op. cit., p276. また、坂本, p589.
^ 当時としては賛辞であった。(今井宏 1974, p. 9)
^ 早くから「万事の改革すでに成りたる国」とよばれた、と今井宏は指摘する。(『明治日本とイギリス革命』, p. 272-273)
^ op. cit., p281.

参考文献
和書・論文

今井宏『明治日本とイギリス革命』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1994年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4480081259


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