ペレ
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ブラジル代表ではペレ以降背番号10がエースナンバーとなったが、後に引き継いだ選手には相当のプレッシャーとなったという[249][注 8]

当時の選手では殆ど前例がない中、引退後の生活を考えて企業の広告塔として活動したこともあって、1970年代に欧州で行われたブランドとしての知名度の調査では、ペレの名前はコカ・コーラに次いで第2位にランクされた[252]。1973年にブラジル国内で行われた知名度の調査ではエミリオ・ガラスタズ・メディチ(英語版)やリチャード・ニクソンを上回りペレが1位を獲得[253]。引退後の1993年に、世界109か国991人のスポーツ記者を対象に行われたワールドカップ史上最も偉大な選手の投票において、第1位に選ばれた[253]。知名度の高さについて、自ら「イエス・キリストより有名かもしれない」と発言したこともある[254]。また、「ペレの綴りを知っているか?G・O・D(神)と書くんだ」と発言したイギリス人記者もいた[255]

かつて、ビアフラとナイジェリアの内戦を一時的に停止させるなど、政治家以上の影響力を持ち[256]、引退後はブラジル大統領に就くことを公言してきた[256]。1990年代にはブラジルのスポーツ大臣として利権者たちと対決して腐敗を告発し、一時期ブラジルサッカー界の近代化のための旗手となった[123]1999年には、タイム誌の選ぶ「20世紀の最も影響力のある100人」の一人に選ばれるなど、サッカーやスポーツの枠を超えた影響力のある人物と評価されている。

選手時代から病院や公共施設に多額の寄付を行い[253]、孤児のための基金を設立するなどの功績により、人徳者として紹介される[253]一方で、前述のようにブラジルサッカー界の腐敗を正す立場にありながらあっさりと権力者と手を結んでしまった姿勢[257]や、ブラジル代表や現役としてプレーする選手たちへの辛辣な発言が物議を醸すことがあり[123][258]、一部で人間性に疑問の声も出ている[123][259]。ペレについてはかつてのチームメイトや対戦相手だけでなく政治家や芸術家など様々な分野の人間がそれぞれの立場からコメントを残している。

FIFAワールドカップの優勝国予想がことごとく外れることで知られている[260][261]

「私は素晴らしい経験をしている。それはペレと共にプレーをしたことだ」 - フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)[262]

「時々、サッカーという競技は彼の為に創造されたのではと考えることがある」 - ボビー・チャールトン(イングランド)[263]

「ペレは論理の限界を超えた唯一の選手だ」 - ヨハン・クライフ(オランダ)[264]

「史上最高の選手はディ・ステファノだが、ペレはその枠に収めることは出来ない」 - フェレンツ・プスカシュ(ハンガリー)[264]

「ペレのプレーを見たときから引退を考えるようになった[注 9]」 - ジュスト・フォンテーヌ(フランス)[265]

「相手は我々と変わらない同じ人間だと考えていた。でも、それは間違いだったんだ[注 10]」 - タルチジオ・ブルニチ、イタリア、1970年)[266]

「マンマークで付くとゴム鞠のように弾き返された。今、思い出しただけでも身震いがする[注 11]」 - 山口芳忠(日本、1972年)[267]

「ペレは別格だった。完璧な人間や選手は、この世に存在しないが、殆どのプレーを完璧にこなし、相手の意表をつくことも出来た」 - ジト(ブラジル)[268]


「選手としては偉大だったが(中略)、一人の選手が一国の大統領になろうと考えるべきではない」 - ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)[269]

「私は様々な国を訪れた経験があるが、その中にはペレをブラジルという国と同義語として認識している国もあった」 - ジーコ(ブラジル)[270]

「彼は我々に嫉妬しているのさ。皆が言ってるよ「私が、私が、私が」のペレだってね[注 12]」 - ドゥンガ(ブラジル、1994年)[271]


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