ペルー
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

ペルーは2020年にブルーベリーで世界2位、アボカドで世界4位の生産国となった[23]。輸入相手国上位5カ国は中国、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、メキシコであり、中国とアメリカの2カ国で輸入額の約47%を占めている。主要輸入品は燃料や輸送機器、電気製品などである[22]
日本との貿易

2021年の日本の輸出額は10億2,500万ドル、日本の輸入額は29億3,300万ドルとなり、日本がペルーから輸入する金額の方が多くなっている。ペルーへの輸出品は自動車、電気製品、タイヤなどである。ペルーからの輸入品は銅、亜鉛、鉄などの鉱物資源、原油、天然ガスなどである[22]
観光詳細は「ペルーの観光地(英語版)」を参照
国民詳細は「ペルー人」を参照1961年から2003年までのペルーの人口動態グラフ。シエラのケチュア系ペルー人の親子。シエラのヨーロッパ系ペルー人。クスコ大聖堂。

植民地時代にリマがペルー副王領の首都であり、そのため独立前からクリオージョ支配層がグアテマラメキシコと並んでラテンアメリカで最も貴族的な階層を築き上げていた。独立後もその傾向が是正されず国民意識が白人層にしか共有されなかったという問題は現在[いつ?]も続く。しかし2001年7月28日 - 2006年7月28日までチョロ(インディオ系ペルー人)の愛称で有名になったアレハンドロ・トレドが大統領に上ったことから現在[いつ?]国民意識が変わりつつある。現在[いつ?]のペルー人に共通し、これがペルー人であるという答えは多様な人種から生まれた文化であることだ。

ペルーの民族構成はメスティーソ45%、インディヘナ(先住民、公式にはカンペシーノなどと呼ばれる)37%、ヨーロッパ系ペルー人15%、アフリカ系ペルー人、中国系ペルー人(華人)と日系をはじめとするアジア系ペルー人などその他3%とされており、非常に複雑で多様な人種から構成されている。長らく日系ペルー人は8万人といわれてきたが、この調査は数十年前に行なわれたものであり、しかも当時、ペルー国外に住む日系ペルー人は調査対象とはならなかったうえ、日本人の血の割合が低い混血の人たちをカウントしなかった。これらの事実と、その後の自然増を勘案すれば、現在[いつ?]の日系ペルー人は数十万に達している可能性がある。

インディヘナに関してはケチュア人アイマラ人が圧倒的に多いが、セルバのアマゾン低地にも多数の民族集団があり、近年[いつ?]彼らの文化の独自性がどれだけ保たれるかが懸念されている。

アフリカ系ペルー人は植民地時代にコスタの大農園での労働力として導入された黒人奴隷の子孫である。アフリカ系ペルー人の文化はコスタの音楽や舞踊、宗教、食文化など広範な分野に大きな影響を与えている。

ヨーロッパ系ペルー人としては、植民地時代からのスペイン人の他に、イタリア人フランス人ドイツ人バスク人などが1850年から1880年の間に2万人ほど流入した。

アジア系ペルー人としては、やはり1850年から1880年の間に10万人ほどの中国人(クーリー)が流入し、コスタの現地文化に同化した。中国人の導入が廃止された後は日本人が導入され、1899年から1923年までの間に2万1000人の日本人が契約移民として流入した。ヨーロッパ系もアジア系も移民は1854年の黒人奴隷解放後に、黒人奴隷に代わってのコスタのプランテーションでの労働力として導入された。

その他のマイノリティとしてはアラブ人ユダヤ人アメリカ人など。他のラテンアメリカ諸国からやってきた人間も少なからずいる。
人口詳細は「ペルーの人口統計(英語版)」を参照

インカ帝国時代に1,000万人を越えていたと推測されている人口は、植民地時代に急激に減少し、独立直後の1826年に約150万人となっていた。その後1961年の国勢調査で10,420,357人、1972年では13,538,208人、1983年年央推計では約1,871万人となった。

1940年代から始まったシエラからコスタ(特にリマ)への国内移民のため、現在のリマは人口800万人の大都市圏を形成しており、これはペルーの総人口の約30%程である。

人口増加率 : 1.39%
言語詳細は「ペルーの言語(英語版)」を参照

公用語はスペイン語(ペルー・スペイン語)、ケチュア語(1975年から)、アイマラ語(1980年から)であり、人口の大部分はスペイン語を話す。セルバのアマゾン低地では、先住民によって独自の言語が話されている。

シエラのインディヘナの多くはケチュア語を話す。アイマラ語話者はティティカカ湖沿岸のプーノ県に特に集中しており、ボリビアのアイマラ語文化圏と文化的に連続している。
宗教詳細は「ペルーの宗教(英語版)」を参照

国立統計情報機構(INEI)による2007年実施の第11回国勢調査結果では、当時12歳以上の国民の81.3%がローマ・カトリック、12.5%はプロテスタント、3.3%はユダヤ教末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)・エホバの証人などの他宗教、2.9%は特定宗教なしとなっている。カトリックの数は減少傾向が観察され、同機構による調査数値の推移では、1993年から2007年にかけてのカトリックが89%から81%に減少している。

スペイン人による征服以来ペルーに住む人々はキリスト教を受容していったが、それでもペルー土着の宗教的要素が完全に消え去ったわけではなく、先住民の伝統宗教と独自の融合、背反を重ねて現在[いつ?]に至っている。
婚姻

伝統的には、スペイン語圏であるため、婚姻後の女性の姓は、自己の姓に相手の姓をdeを挟んで後置したものであるが、女性の権利を守る立場から近年[いつ?]法律が改定され自己の名前のみを名乗る夫婦別姓や、相手の姓を名乗ることも選択できるようになった。
教育詳細は「ペルーの教育(英語版)」を参照

6年間の初等教育と5年間の中等教育、6歳から16歳までの計11年間が義務教育期間である。その後に、大学(10学期=5年間)、専門学校などに進学することができ、またそれらに進学するための予備校などもある。

国立情報統計機構(INEI)が2017年9月に発表した2016年全国世帯アンケート(ENAHO)のデータによれば、識字人口は2147万4000人、15歳以上識字率は94.1%である。2006年から2016年の10年間で男性が1.7%(95.4%→97.1%)、女性が4.8%(86.2%→91.0%)向上している。

主な高等教育機関はサン・マルコス大学(1551)、ペルー・カトリカ大学太平洋大学(1962)など。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:148 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef