国際的にはペルシア湾(英語:Persian Gulf)が正式名称として認知されている[4]。
「ペルシア湾」という名称は古代ギリシャにおいて用いられていた。その後イスラム圏、ヨーロッパを経て世界中に広まり、現在ではほとんどの言語でこの名称またはその訳語が使われている。
トルコでは、ペルシア湾への港町バスラにちなんで「バスラ湾」と呼ばれる場合がある。
国際水路機関発行の「大洋と海の境界(第三版)」[5]では、Gulf of Iran (Persian Gulf)としている。
アラブ諸国では、1960年代以降この湾を (?????? ??????)「アラビア湾」と呼ぶ場合があるが、国際的に存在しない言葉である。湾岸周辺居住者はアラブ系住民が多いとしてこれを国際名称にしようとしている(ペルシア湾呼称問題)。
対立を避けるため、単に「湾」「湾岸」「ガルフ」(英語:Gulf)と呼ぶ場合もある。たとえば湾岸協力会議の名称はそのようになっている。 アラブ首長国連邦の独立直前の1971年11月30日、イラン帝国は出兵して湾東部のアブー・ムーサー島と大・小トンブ島を占領した[6]。 1980年代のイラン・イラク戦争を通じ、双方がペルシャ湾内のタンカーを攻撃。多数の被害が出た。詳細は、タンカー戦争を参照のこと。戦争末期には、クウェートのタンカーの航行をアメリカ軍が護衛するアーネスト・ウィル作戦も行われた[7]。 1991年の湾岸戦争では、クウェート沿岸の石油関連施設、タンカーなどがイラク軍からの攻撃を受けた。詳細は、湾岸戦争における石油流出を参照のこと。
湾内で発生した衝突
アブー・ムーサー島など
イラン・イラク戦争
湾岸戦争
イランとアメリカ
2020年4月15日、ペルシア湾の公海上に展開していたアメリカ海軍(ルイス・B・プラーなど)とアメリカ沿岸警備隊の艦船に対し、イラン革命防衛隊の小型船舶11隻が複数回にわたって進路上を横切る異常接近を繰り返した[8]。同年4月22日、ドナルド・トランプ大統領は、アメリカ船がイランの小型砲艦から嫌がらせを受けた場合、すべて撃沈するよう海軍に指示したと明らかにした[9]。
ペルシア湾と接している国々
アラブ首長国連邦
イラク
イラン
オマーン : ホルムズ海峡に面した飛び地のムサンダムがある
カタール
クウェート
サウジアラビア
バーレーン
ギャラリー
ペルシア湾(1808)
ペルシア湾(1747)
脚注[脚注の使い方]^ a b 『理科年表』平成28年 614頁
^ 帝国書院 新詳高等地図 2002年 105頁
^ “ ⇒Limits of Oceans and Seas, 3rd edition”. International Hydrographic Organization (1953年). 2010年2月7日閲覧。
^ United Nations (2006年4月4日). “ ⇒United Nations, Historical, Geographical and Legal Validity of the Name: PERSIAN GULF(英語)”. 2011年4月21日閲覧。
^ ⇒「大洋と海の境界(第三版)」(Special Publication No.23) Archived
^ 石田進 (1993). “湾岸諸国間の領土紛争 一アブー・ムーサ島、大・小トンブ島、シッリ島の場合一”. 国際大学中東研究所紀要 (7): 29-45.