繁殖様式は卵生。オスが巣を作る場所を決め、その場でメスに求愛する[2]。メスが営巣し、オスは巣材を運ぶ[2]。集団繁殖地(コロニー)を形成する[2]。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は約1か月[2]。育雛も雌雄共に行う[2]。卵を複数個産んだ場合でも巣立つ雛は通常1羽で、巣立った幼鳥も生後1年以内に大半が死亡する[2]。
人間との関係モチェのペリカン ラルコ博物館収蔵、ペルー、リマペリカンのステンドグラス、 First Congregational Church, Amherst, Massachusetts、親ペリカンが自らの胸に穴を開けて子に血を与えている。同様のデザインは世界各地で見られる。
ペットとして飼育されることがある。人によく馴れ、ときには、主人のもとに魚を持ってこさせたりするほどにしつけることができる。古くは、マクシミリアン皇帝が飼育したペリカンは、80年以上生きたとされている[12][13][14]。
肉食であるペリカンの肉は臭く、味は非常にまずいため食用に向かない。アメリカンインディアンはペリカンを猟獲し、その袋を加工して、財布やタバコ入れなどを制作していた。18世紀にはそれらの一部がヨーロッパに輸出された[14]。
淘鵝油(とうがゆ)は、ハイイロペリカンの脂肪油であり、通常、秋または冬に捕獲し、化膿性のできもの、腫れもの、悪性のでき物、風疹や湿疹の疼痛に用いる[15]。ペリカンの油脂はインド、ペルシアでも古くから用いられた[16]。
ペリカンが胸に穴を開けてその血を与えて子を育てるという伝説があり[2]、あらゆる動物のなかで最も子孫への強い愛をもっているとされる。この伝説を基礎として、ペリカンは、全ての人間への愛によって十字架に身を捧げたキリストの象徴であるとされる[2][17][18]。このようなペリカンをキリストのシンボルとみなす記述は、古くは中世の著作にも見つけることができる[19]。
ペルーのモチェ文化において陶製のペリカン像が発見された。カッショクペリカンかそれに近い種をモデルにしている可能性がある[20]。
鵜の字は、日本では鵜飼いなどに用いる鵜を指すが、もともとはペリカンの意である[21]。
アラビア語では、呼称として al-qadus が用いられていた[22]。この語がポルトガル語で alcatruz となり大型の海鳥広範を指すようになり、英語でアホウドリ類を指す albatross の語源となっている[22][23][24]。
ハイイロペリカンやホシバシペリカンは、漁業と競合する害鳥とみなされることもあり、開発による生息地の破壊、漁民によるコロニーの破壊により生息数が減少している[25][26]。
参考文献[脚注の使い方]^ a b c d e f g 長谷川博 「大きなのど袋を使う漁法」『動物たちの地球 鳥I 2 ペンギン・ペリカン・ウなど』第14巻、朝日新聞社、1992年、58-60頁。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Elizabeth Anne Schreiber & Ralph W. Schreiber 「ペリカン類」長谷川博訳『動物大百科7 鳥I』黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編、平凡社、1986年、62-66、68頁。