母が埋葬されているシヘーナ修道院 (en) に埋葬されたが、異端としてその場所は墓地エリア外とされた[4]。1217年2月、代替わりした教皇ホノリウス3世により遺骸は修道院内に移葬された[7]。その場所は母の棺の隣であった[7]。 1204年にモンペリエ領主ギレム8世の娘で女子相続人のマリア・デ・モンペリエと結婚した[8]。マリアの母はビザンツ皇女エウドキア(マヌエル1世の姪)であり、マリアはこの結婚の前に2度の離婚歴があった[9]。1男をもうけた。
子女
ハイメ1世(1208年 - 1276年) - アラゴン王(1213年 - 1276年)
脚注^ 田澤、P62。
^ ローマックス、P165、芝、P132 - P134。
^ ローマックス、P171 - P174、芝、P137 - P138、田澤、P55、関、P154。
^ a b 浅野、P179。
^ 田澤、P62 - P64、芝、P144、関、P214 - P215、尾崎、P11 - P14。
^ 田澤、P64。
^ a b La documentacion pontificia de Honorio III (1216-1227), hrsg. von Demetrio Mansilla (1965), Nr. 34, S. 28.
^ 関、P214。
^ 田澤、P66、尾崎、P8。
参考文献
D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』刀水書房、1996年。
浅野ひとみ『スペイン・ロマネスク彫刻研究-サンティアゴ巡礼の時代と美術』九州大学出版会、2003年。
尾崎明夫
芝修身『真説レコンキスタ <イスラームVSキリスト教>史観をこえて』書肆心水、2007年。
関哲行・立石博高・中塚次郎『世界歴史大系 スペイン史 1 -古代?中世-』山川出版社、2008年。
田澤耕『物語カタルーニャの歴史』中央公論新社(中公新書)、2000年。ISBN 4-12-101564-9
先代
アルフォンソ2世アラゴン王
バルセロナ伯
1196年 - 1213年次代
ハイメ1世
ラミロ1世1035-1063 / サンチョ・ラミレス1063-1094 / ペドロ1世1094-1104 / アルフォンソ1世1104-1134 / ラミロ2世1134-1137 / ペトロニラ1137-1164