ペドロ1世_(カスティーリャ王)
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注釈^ 百年戦争の遠因は、アキテーヌ女公アリエノールが、フランス王ルイ7世、次いでイングランド王ヘンリー2世と結婚し、後者の縁組によって「アンジュー帝国」が形成されたことにある。
^ イサベルの曾孫は薔薇戦争に勝利し、ヨーク朝の祖エドワード4世となった。
^ この結婚で、イングランドの慣習が伝播した。その後も推定相続人に対する儀礼的称号(皇太子に相当)として、現代のスペイン王国まで存続する。
出典^ 佐藤 2003 p.103
^ 佐藤 2003 p.102-103
^ 佐藤 2003 p.103-104
^ 佐藤 2003 p.104
^ a b c d 佐藤 2003 p.105
^ a b 佐藤 2003 p.106
^ 佐藤 2003 p.106-108
^ 佐藤 2003 p.108-109
^ 佐藤 2003 p.121
参考文献
佐藤賢一『英仏百年戦争』集英社〈集英社新書〉、2003年11月14日。ISBN 978-4087202168。
関連項目ウィキメディア・コモンズには、Peter of Castileに関連するカテゴリがあります。
セビリアのアルカサル - ペドロ1世の命で建設。現在は世界遺産となっている。
黒太子のルビー - 大英帝国王冠正面に飾られた巨大なスピネル。国を追われイングランドの助力を受けた際、エドワード黒太子に譲り渡したといわれる。
セビリア大聖堂 - ペドロ1世のほか、マリア・デ・パディーリャ、嫡子アルフォンソ、庶子フアン(母フアナ・デ・カストロ)らが埋葬されている。
表
話
編
歴
カスティーリャ国王(1350年 - 1369年)
ヒメノ朝
フェルナンド1世1037-1065 / サンチョ2世1065-1072 / アルフォンソ6世1072-1109 / ウラカ1109-1126
ボルゴーニャ朝
アルフォンソ7世1126-1157 / サンチョ3世1157-1158 / アルフォンソ8世1158-1214 / エンリケ1世1214-1217 / ベレンゲラ1217 / フェルナンド3世1217-1252 / アルフォンソ10世1252-1284 / サンチョ4世1284-1295 / フェルナンド4世1295-1312 / アルフォンソ11世1312-1350 / ペドロ1世1350-1369
トラスタマラ朝
エンリケ2世1369-1379 / フアン1世1379-1390 / エンリケ3世1390-1406 / フアン2世1406-1454 / エンリケ4世1454-1474 / イサベル1世1474-1504 / フェルナンド5世(共同王)1475-1504 / フアナ1504-1555
アブスブルゴ朝
フェリペ1世(共同王)1506 / カルロス1世1516-1556 / フェリペ2世1556-1598 / フェリペ3世1598-1621 / フェリペ4世1621-1665 / カルロス2世1665-1700
ボルボン朝
フェリペ5世1700-1715
※1715年、スペイン王位へ統合
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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