ペドロ・サンチェス
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2023年5月28日に執行された統一地方選挙で社会労働党が多くの議席を失い敗北したことを受け、翌29日に総選挙を7月23日に実施すると発表した[50]総選挙では社会労働党の敗北も予測されたが終盤に追い上げ、野党・国民党と極右政党Voxをあわせても過半数に届かず、社会労働党は第2党に後退したが改選前より上積みし、極右政党の政権入りの阻止には成功した[51]。25日、国王フェリペ6世がサンチェスを首相から解任し、新政権発足まで現職にとどまるよう指示した[52]。しかし国王から組閣を要請された国民党党首のアルベルト・ヌーニェス・フェイホーは9月27、29日の下院における首相就任信任投票を立て続けに否決されたため、サンチェスに再びお鉢が回り[53]、10月3日に国王より組閣を要請され連立政権樹立に向けた調整を開始[54]。社会労働党はポデモスを含む急進左派連合スマール(英語版)や地域少数政党などとの協力関係を結んでいき、11月16日の下院議会における首相信任投票は賛成179、反対171票で可決され首相続投が決まった[55]

2024年4月24日、小規模の公務員労働組合による告発を受けてスペインの裁判所が夫人のベゴーニャ・ゴメス・フェルナンデス(スペイン語版)が不正に利益誘導を行った疑惑で捜査を開始すると発表。サンチェス自身はこの疑惑を否定し、一連の動きは極右勢力に仕組まれた政治的動機に基づく中傷キャンペーンと批判したものの、週末の公務は取りやめ辞任すべきかを29日までに検討すると表明[56]。4月29日、引き続き職務にとどまると表明[57]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

2018年のサンチェス内閣

ナディア・カルビニョ経済・企業相と(2019年1月23日)

フィンランドのサンナ・マリン首相と(2022年1月26日)

デンマークのメッテ・フレデリクセン首相と(2022年2月21日)

2022年4月21日、デンマークのメッテ・フレデリクセン首相とともにウクライナの首都キーウを訪問。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した[58]

アイスランドのカトリーン・ヤコブスドッティル首相と(2022年6月28日)

政策
歴史の記憶法

サンチェスは野党党首として、マリアーノ・ラホイ前首相による歴史の記憶法(スペイン語版)に対する抑圧的な方針への反対をすでに表明していた。彼は前首相が記憶法に必要なリソースを割り当てていないと非難した[59]

首相就任後、サンチェスは政権の優先事項として歴史の記憶法を推し進め[60]、内戦や独裁政権下に迫害や暴力を被った人々を有利にし、法が意図する目的に適切な制度的支援を提供するための王令698/2018[61][62]にしたがって、法改正を提案し、法務省内で記憶法を方向づけるための決定を下した[63]

これまでのサンチェスの決断の中で最も重要なものは、戦没者の谷にあるフランシスコ・フランコの墓の移転である[64]

フランコ家が反対するなか[65]、サンチェス政権は墓をより知られていないファランヘ党創始者ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラの記念碑へと移しかえることを提案した。

カタルーニャ州警察は2018年11月、墓移転計画に対する妨害と自宅に16丁の銃器を所持していた咎で、カタルーニャ州タラサに住む男を逮捕したと発表した。男はサンチェスの暗殺を計画していたとみられている[66]
移民政策

2018年6月、イタリアとマルタは移民船アクエリアス号の入港を拒否し、船は629人の移民を乗せたまま地中海を漂着した[67][68]。サンチェス政府は地中海に面した東スペインのバレンシア港を人道的な配慮[69]から安全な港として提供することを申し出た[70]。 2018年6月30日、政府は別の船、スペインのNGO団体オープンアームズ(外部リンク)と59人の移民が再びイタリア、マルタ両政府によって拒絶されたことを受けて、船の受け入れを決定した[71]。同じことが2週間後にも起きた[72]。 さらに8月上旬、今度は87人の移民を乗せたオープンアームズの船を再び受けいれ、アルヘシラス港に入港させた[73]

これによりスペインはアフリカからの移民の主な参入国となった。決定はサンチェスがいわゆる「呼び水効果」を引き起こしたとして、国民党(PP)とシウダダノスによって非難された[74][75]

サンチェス政権は移民問題をEU全体の問題であると考え、他の南ヨーロッパの国々がドイツ型移民政策による政治危機を回避するなか、(2015年に100万人以上の移民を想定した)ドイツ政府との連帯を示し、移民歓迎の姿勢で両国間での合意に達した[76]。彼は、欧州連合の重要な2人のリーダー、フランス大統領のエマニュエル・マクロン[77]とドイツ首相のアンゲラ・メルケル[78]の支援を受け、移民問題においてヨーロッパレベルでの解決策を選んだ。

これに対して、スペインイタリア間の政府間関係は移民問題のため緊張することとなった。サンチェス政権のメンバーであるジョセップ・ボレル議員とイタリアの副首相兼内務大臣マッテオ・サルヴィーニとの間で非難の応酬が起きた。


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