2014年7月26日と27日の社会労働党の臨時総会で結果が批准され[18]、9月10日の総会で非公式の野党党首の立場となった[19]。 書記長就任後、サンチェスは社会労働党の統一と旧有権者の信頼を取り戻す必要性にせまられた[20]。結局、旧有権者の25%は新しい政党ポデモスを選択した[21]。またアンダルシアの社会労働党との緊張への対処も課題だった[22]。 自身の存在を知らせるため、彼は多数のテレビ番組に登場するようになった。 はじめのうち、ポデモスはしばしばサンチェスを「ポピュリスト」と呼んだ[23]が、サンチェスはポデモスを「イデオロギー的日和見主義」と呼んで応戦した[24]。 サンチェスはスペインの国家モデルとして、独立主義(independencia)ではなく連邦モデル(un modelo federal para Espana)を提案[25]するとともに、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ前首相の制定した憲法135条を改正し[26]、宗教的な要素を排除して、教育制度の世俗主義化を強化する[27]と主張した。 サンチェスはセサル・ルエーナ・ロペス
社会労働党書記長時代
2015年12月20日に行われた総選挙で、社会労働党は90議席の獲得に終わり、第2政党にとどまった。にもかかわらず翌2016年2月2日、サンチェスは首相候補者としてフェリペ6世国王によって推薦された[29]。 2月24日、社会労働党は総選挙で40議席を獲得したシウダダノス党とサンチェス擁立で合意した[30]。しかし、3月4日の2回目の票決で議会は賛成131票(社会労働党、シウダダノス、カナリア連合)、反対219票(残りの下院議員)でサンチェスの首相就任を大差で否決した[31]。スペイン民主化後初めて、首相候補が2度目の投票で議会の信任を得られないという結果に終わった。
2016年、社会労働党は85議席という民主化以後最低の議席数となった。ラホイ首相の提案による国民党(PP)とシウダダノスの協定の後、サンチェスは国民党政府に繰り返し反対票を投じた。 ラホイの協定が失敗におわると、彼は「変革の力(ポデモスとシウダダノス)」に国民党に代わる政府を可能にするように要請した。 2016年9月28日、社会労働党の連邦政策長官であるアントニオ・パラーダス
社会労働党書記長の辞任
2016年10月29日、サンチェスは下院議員を辞任した[33]。
しかし、サンチェスは失脚後も愛車プジョー407に乗ってスペイン各地の党員を訪問してまわり[34]、影響力の維持を図った。
2017年1月、サンチェスは5月に予定されている、社会労働党書記長選挙に立候補することを発表した。 2017年5月21日、選挙の結果社会労働党書記長に返り咲きを果たした。 2017年6月18日、第39回党大会で、サンチェスは正式に書記長に就任した。 社会労働党は一方的なカタルーニャ独立宣言の後、カタルーニャ州政府に対してスペイン憲法第155条を適用することで政府を支援することを決定した。 2018年5月、2007年より調査が開始されていた国民党の大規模汚職事件、グルテル事件
社会労働党書記長への復帰
ラホイ首相に対する不信任案
5月25日、判決ののち、社会労働党は国会にラホイ首相に対する内閣不信任案を提出し、サンチェスが首相候補として挙げられた。
6月1日、投票が行われ、賛成180票、反対169票、棄権1の賛成多数でサンチェスの首相就任が決まった[37]。
首相就任後