ペトロ
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日本のカトリック教会で用いられてきた「ペトロ」はラテン語に基づく表記[6][7](: Petrus; abl. Petro)で、カトリック教会とエキュメニカル派の『新共同訳聖書』にも採用された。日本の聖書用語に大きな影響を与えたプロテスタントの『文語訳聖書』とプロテスタントの他の翻訳では「ペテロ」と表記される[8][9]日本正教会では教会スラヴ語から「ペトル」と転写する。正教会ではペトル(ペトロ)を首座使徒との呼称を以て崇敬する。

また、「ペトロ」は聖ペトロにちなむヨーロッパ諸言語の一般的な男性名としても用いられ、現代の言語では英語ピーターフランス語ピエールイタリア語ピエトロドイツ語ペータースペイン語ポルトガル語ペドロロシア語ピョートルなどのように発音される。
生涯ホントホルストの『ペトロの否認』1620年頃

マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によればペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。

ルカによる福音書』ではイエスとの出会いはゲネサレト湖の対岸にいる群衆への説教に向かうイエスが彼の船を使った時とされる。伝承では、ペトロはイエスと出会った時には既に比較的高齢であったという。共観福音書はいずれもペトロの姑がカファルナウムの自宅でイエスに癒される姿を記しており、ここからペトロが結婚していたことが分かる。

ペトロは弟子のリストでも常に先頭にあげられており[10]、イエスの問いかけに弟子を代表して答えていること[11]などから、イエスの存命中から弟子たちのリーダー的存在であったことがうかがわれる。また、主イエスの変容(姿が変わって神性を示した出来事)をペトロはヤコブヨハネの選ばれた三人だけで目撃している。

イエスの受難においてペトロは剣を抜き、大祭司の僕マルコスの右耳を切り落とすが[12]、その後イエスを3度否認したことが福音書に書かれている。そうなることをイエスが事前に予告していたことを思い出した時「激しく泣いた」とされている[13][14][15][16]。また『ヨハネによる福音書』によれば、イエスの復活時にはヨハネと共にイエスの墓にかけつけている[17]

使徒言行録』ではペトロはエルサレムにおいて弟子たちのリーダーとして説教し、イエスの名によって奇跡的治癒を行っている。やがてヤコブ (イエスの兄弟)エルサレム教団のリーダーとして活躍しはじめると、ペトロはエルサレムを離れ、各地を巡回するようになり、ヤッファでは亡くなった少女タビタを生き返らせる奇跡を行った。

当時、イエスの教えはユダヤ人のみに与えられる福音なのか、それともユダヤ人以外の人々(異邦人)をも対象としているのかについて議論があったが、ペトロはある日、清い者・清くない者、あらゆる人々に宣教するよう幻を見て、異邦人への宣教も神の意思であることを理解する。カイサリアではコルネリウスというローマ帝国の百人隊長をイエスの道へ導いている。「コリントの信徒への手紙一」によれば、ペトロは妻を連れて各地の教会をめぐっていたようである[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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