ペダル・スティール・ギター
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ラップ・スティールリッケンバッカー・ラップ・スティール・ギター、エレクトロB6、ビーチャム式馬蹄形ピックアップ付き、1930年代後半

最初のラップ・スティールは、ボディは小さくなったものの、ギターのような形状を保っていた。楽器メーカーは、急速にペダル・スティールの前身なるエレクトリック・ピックアップを備えた長方形の木の塊型のギターを作り始めた。音楽ライターのマイケル・ロスによると、商業録音での初に電化弦楽器は、1935年のボブ・ダン(英語版)のウエスタン・スイング・チューンだった[1][12]。ダンはミルトン・ブラウン(英語版)と彼のミュージカル・ブラウニーズと共にレコーディングを行った[1]。ブラウンは「ウエスタン・スイングの父」と呼ばれている[13]
ラップ・スティールがコンソール・スティールになる

対処すべき次の問題は、同じギターで異なるボイシングで演奏する必要があること、つまり、弦の調律の方法だった[14]。当時、これを実現する唯一の方法は、同じ楽器に異なるチューニングのネックと弦を追加することだった。リッケンバッカー・コンソール758トリプルネック・ハンドル - 2011年TSGAジャンボリー

演奏者はネックを増やし続け、最終的には4本にまでなった。これは楽器が大きく重くなることを意味し、演奏者の膝の上ではなくスタンドや脚の上に置く必要があり、現在では "コンソール "と呼ばれている。ボブ・ウィルズ(英語版)のラップ・スティール奏者だったノエル・ボッグス(英語版)は1953年に楽器製作者レオ・フェンダーによって作られた最初のスティール・ギターを手にした。フェンダーは著名な演奏家を頼りに、彼の楽器の実地テストを行っていた[15]。ボッグスはソロの際に異なるネックに切り替えた最初のプレイヤーの一人である[1]。「スティール・ギター・ラグ(英語版)」の作曲者であるレオン・マコーリフ(英語版)もボブ・ウィルズと共演し、マルチ・ネックのスティール・ギターを使用していた。ウィルズが Take it away, Leon という彼の有名なキャッチフレーズを言ったとき、彼はマコーリフのことを指していた[1]。フェンダー・ストリングマスター(英語版)のトリプルネック・コンソール・スティールは、1959年のナンバーワン・ヒット曲「スリープ・ウォーク」でサントとジョニー(英語版)のファリーナ兄弟によるスティール・ギター・インストゥルメンタルで聴くことができる。
コンソール・スティールがペダル・スティールになる

一台の楽器に複数のネックを作るのはコストがかかるため、ほとんどのプレイヤーにとっては手の届かないものとなり、より洗練された解決策が必要とされた。この時点での目標は、第2のネックをエミュレートするために、全ての弦のピッチを一度に変更できるペダルを作ることだった[16]。1939年、「エレクトラデール」と呼ばれるギターは、ソレノイドを制御するペダルを搭載し、弦の張力を変化させる電気機構を作動させた[17]。しかしながら、このギターは成功しなかった。同年、アルヴィーノ・レイ(英語版)は機械工と協力して弦のピッチを変えるペダルを設計したがうまくいかなかった。インディアナポリスのハーラン兄弟は「マルチ・コード」と呼ばれる万能ペダルを開発した。このペダルは、任意の弦、またはすべての弦の音程を簡単に調整することができたが、すべての弦の張力を同時に上げる(音程を高くする)のは非常に困難だった[17]

ギブソン・ギター・カンパニーは1940年にペダルが左後脚から放射状に配置された「エレクトラハープ」を発表した。ビグスビー・スティール

数あるペダルシステムの中で最も成功したペダルシステムは、商業的に成功したギター用のビブラート・テールピースを発明したバイク点の店長であり、レーサーでもあるポール・ビグスビー(英語版)によって、1948年頃に設計されたものである[18]。ビグスビーはスティール・ギターの2本の前脚の間のラックにペダルを取り付けた。ペダルは機械的なリンクを操作して弦の音程を上げるために張力をかけていた[19]

これは、それほど簡単なことではない。ペダル機構自体が独自のチューニング・システムを持っていなければならない。例えば、ギターのチューニングは、ギターに付いているお馴染みのチューニングペグを使って完璧にチューニングされているとする。次に、プレーヤーがペダルを踏んで結果が調子外れであっても、ペダルを離すと、再び調子が合っている。ギターの下には、レバー、スプリング、長いロッドがある。プレーヤーの右、楽器の端には、ロッドの端が露出している開口部がある。演奏者は音程の外れた音をコントロールするロッドに、ラジオのつまみのような小さな六角レンチを装着する。ペダルを押し下げたままノブを左右に回して、オリジナルのチューニングとは完全に独立したプロセスでペダルを微調整する[18]。ビグスビーはスピーディ・ウェスト(英語版)、ノエル・ボッグス、バド・アイザックスなど、当時の一流のスティール・プレイヤーのために自分のデザインを取り入れたギターを製作していたが、ビグスビーは56歳の時にガレージで一人で作業をしていたため、需要に追いつくことができなかった[17]。ビグスビーの最初のギターの1本は1949年にエディ・カークの "Candy Kisses で使用された[20]。ビグスビーが製作した2本目のモデルはスピーディ・ウェストに送られ、彼はこのギターをひんぱん使用した[18]
カントリー・ミュージックのペダル・スティール:新しいサウンドの誕生

1953年、バド・アイザックスはギターのネックにペダルを取り付けて2つの弦だけを変化させ、はじめて音が鳴っている間にペダルを操作した。他のスティール・ギター奏者はこれが「非ハワイアン」と見なされていたため、この奏法を避けていた[1]

アイザックスが1956年にウェッブ・ピアース(英語版)の曲 "Slowly の録音で初めてこのセットアップを使用したとき、彼がコードを演奏しながらペダルを押すと、下から他の弦と調和するように既存のコードに音が変化していくのが聞こえ、スティール・バーでは不可能だった見事なな効果を生み出した。この Slowly の録音について、スティール・ギターの名手ロイド・グリーンは「この人、バド・アイザックスは、このレコードでの登場でスティールの音楽的思考に新たなツールを投げかけた」と語った[18]。カントリーミュージックの未来の音の誕生とそれを複製したいスティール・ギター奏者の間で実質的な革命を引き起こした[14][18]

また、1950年代には、スティール・ギターの殿堂入りを果たしたゼイン・ベックがペダル・スティール・ギターにニーレバーを付け加えた[21]。プレーヤーは膝を右、左、または上に(モデルに応じて)動かして、さまざまなピッチ変更を行うことができる。レバーは基本的にフットペダルと同じように機能し、単独で、他の膝と組み合わせて、またはより一般的には、1つまたは2つのフットペダルと組み合わせて使用することができる[22]。このレバーは当初、レイ・ノーレンのコンソールスティールに付け加えられた[18]。当初、ニー・レバーはピッチを下げるだけだったが、後年、改良によりピッチを上げたり下げたりすることができるようになった。
バディー・エモンズのペダル・スティールへの貢献

"Slowly" がリリースされたとき、ビグスビーはスティール・ギターの巨匠バディ・エモンズ向けのギターを作成している途中だった。エモンズはこの曲でアイザックスの演奏を聞き、ビグスビーにアイザックスのシングルペダルの機能をそれぞれ異なる弦を制御する2つのペダルに分割するようにギターを作るように指示した。この機構にはバーを傾けたり動かしたりせずにマイナーコードやサスペンデットコードを鳴らすことができる利点があった。同じ頃、別の著名なスティール・ギター奏者プレーヤーであるジミー・デイも同じことをしたが、2つのペダルの影響を受ける弦を逆にしていた。これらのことから、その後のスティール・ギター・メーカーは、「デイ」または「エモンズ」の機構が必要かどうかを顧客に尋ねることとなった。1957年、エモンズはギタリスト/機械工のハロルド・"ショット"・ジャクソン(英語版)と提携して、初のペダル・スティール・ギターの製造専門の会社であるSho-Bud社を設立した。


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