ベンガル語
[Wikipedia|▼Menu]
「無意味な音」を意味する「アバハッタ(英語版)」とも呼ばれるアパブランシャの東部方言、プルビ・アパブランシャ(Purbi Apabhra??a)が、最終的に3つの言語、ベンガル・アッサム語(英語版)、ビハール語オリヤー語に分化した。枝分かれの時期は、西暦500年ごろにまで遡れるとする説もあるが[14][疑問点ノート]、言語というものは静的なものではない。この時代には少しずつ異なる言語が共存し、書き手も複数の方言を同時に書くことがよくあった。例えば、6世紀前後にアバハッタへと進化していったと考えられているアルダマーガディーは、ベンガル語の前身となる言語としばらくの間、競合していた[15][疑問点ノート]。なお、そのベンガル語の前身となる言語は、パーラ朝セーナ朝で話されていた言語でもある[16][17] 現存する最古のベンガル語文献、Charyapada の1ページ。10世紀から12世紀の間に書かれた。
中期ベンガル語ベンガル・スルターン朝の銀貨。1417年ごろのもの

中世において話された中期ベンガル語(1400年-1800年)には、単語末で ? o のエリジオンが起きる現象と、複合動詞の広範な使用と、アラビア語やペルシア語の影響が見られることに特徴がある。ベンガル語はベンガル・スルターン朝の宮廷において公式に使用された。ムスリム支配者層は、支配地域におけるサンスクリットの影響を抑え、イスラーム化を進める試みの一つとして、ベンガル語文学の発展を奨励した[18]。ベンガル・スルターン朝において、ベンガル語は最もよく話される地方語(英語版)(vernacular language)になった[19]。この時代にはアラビア語やペルシア語からベンガル語の語彙の中に取り入れられた借用語が見られる。また、この時代の主なテキストとしては、チャンディーダース(英語版)の『クリシュナ神賛歌(英語版)』がある。
現代ベンガル語

現代ベンガル語の書き言葉は、19世紀から20世紀初頭にかけて、ベンガル地方の中央部やや西よりに位置するナディーヤー地方(英語版)の話し言葉を基礎として発展した。この時代のベンガル地方は、イギリスの植民地統治下にあり、ベンガル語が行政・公用の言語として用いられてなかったため、書き言葉の発展はもっぱら文学活動により牽引された[20]。ビールバル(英語版)やタゴールらの詩人や作家はベンガル語の書き言葉として、語形変化やその他の変化の形態が複雑な Sadhubhasha(ベンガル語: ????????)を使用するよりも、これを簡略化した Cholitobhasha(ベンガル語: ????????)を使用することを推進した[20][21]
話者分布印欧語族インド語派の話者分布の一例を示す図

ベンガル語母語話者の概算分布(概算で約2億6100万人).mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  バングラデシュ (61.3%)  インド (37.2%)  その他 (1.5%)

ベンガル語を母語とする話者(母語話者、第一言語話者)は、バングラデシュとインドの西ベンガル州を中心とした地域(ベンガル地方)に分布する[6]。ベンガル語母語話者が最も多いのはバングラデシュであり、母語話者全体の61.3%を占める。バングラデシュ国内のベンガル語母語話者は同国人口の90%以上、2009年のデータでは98.74%に達するが[22]、これを母語としない少数民族もほぼ全員がベンガル語と母語とのバイリンガルである[7]。2001年のバングラデシュのセンサスによると、同国内のベンガル語話者は約1億1000万人である[23]

ベンガル語母語話者が次に多いのはインドであり、母語話者全体の37.2%を占める。2001年のインドのセンサスによると、同国内のベンガル語話者は約8300万人である[23][24][25]。これは、インド国内においてもヒンディー語に次いで使用人口は2位となる数字である[26]。その内訳は絶対数が多い順に、西ベンガル州が約6800万人、アッサム州が700万人、ジャールカンド州が260万人、トリプラ州が210万人である[25]。とりわけ西ベンガル州は州人口の85%がベンガル語を第一言語とする[24][25]。バングラデシュの東に位置するトリプラ州では、ベンガル語話者が州全体の人口の約3分の2を占める[24][25]。アッサム州では州人口の3分の1、ジャールカンド州とミゾラム州では10分の1がベンガル語を第一言語とする[24][25]

このほかの国家に居住するベンガル語母語話者は全体の1.5%を占め、北米、イギリス、ペルシア湾岸諸国、ネパールやパキスタンなど南アジアに、かなり規模の大きいベンガル語話者ディアスポラのコミュニティがある[23]。ロンドンのタワーハムレッツ区には、ブリック・レイン通り(英語版)を中心にベンガル語話者が集住するコミュニティがある[27]。日本にもベンガル語話者が15000人ほど居住している[28]。正確な見積もりは難しいが、21世紀前半現在の時点で母語話者人口が2億人を超えることは確実であり、ベンガル語を第二言語として話す人口は5000万人[23]、トータルの話者数は3億人に迫る[6]
言語変種

ベンガル語の話し言葉に関して、バングラデシュの北東部シレットと、同南東部チッタゴンにおいては、町や村で暮らす人々(ここでは「ジュマ」という焼畑農耕民とは異なるという意味)の間で、他地域のベンガル語話者にはすぐには理解できない、音韻や語彙に特徴を持った方言が生まれている[8]。これらを方言ではない独立した言語であるとみなす立場からは、それぞれ、「シレット語」「チッタゴン語」と呼ばれる。これらを除く狭義のベンガル語の方言は、大まかに Radha、Pundra (Varendra)、Kamrupa、Bangla の4つに分けることができ、イギリスの植民地統治時代の地方区分におおむね合致している[8]。21世紀現在の地域名称で言うと、Radha は西ベンガル州、Pundra は西ベンガル州とバングラデシュの北部、Kamrupa はバングラデシュの北東部、Bangla はバングラデシュの残りの部分に相当する地域で話されている方言である[8]

バングラデシュと西ベンガル州のベンガル語は、コルカタで用いられるh音がダッカでは脱落し[29]、またいくつかの語彙・発音の差や、バングラデシュ側の方がより実際に発音に近い綴りを用いる[30]などの違いがあるもののほとんど同じであり、出版や音楽などの交流も支障なく盛んに行われている[31]。この語彙の差は、主に宗教の差によるものであり、イスラム圏であるバングラデシュのベンガル語が、アラビア語ペルシア語からの借用語が多く存在するのに対し、ヒンドゥー教圏であるインドにおいてはこれらの語彙がサンスクリット語由来のものとなっているためである[32]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:94 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef