ベル研究所
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1924年、ウォルター・A・シューハートが製造工程の統計的管理手法として管理図を提案。シューハートは翌年設立されるベル研究所で引退するまで研究に従事した。シューハートの手法は統計的プロセス制御の基盤となった。これはシックス・シグマなどの現代的品質管理の先駆けである。

運営開始の初年には、よそで発明されたファクシミリの世界初の公開デモンストレーションを行った。1926年、世界初のトーキー(音声と映像の同期)システムを発明した[2]

1927年、テレビの長距離送受信実験として、アメリカ合衆国商務長官ハーバート・フーヴァーの動画をワシントンからニューヨークに転送する実験を成功させた。1928年、ジョン・B・ジョンソンとハリー・ナイキストが初めて熱雑音を発見し、理論的分析を行った(このため「ジョンソン・ノイズ」とも呼ぶ)。

1920年代には、Gilbert Vernam と Joseph Mauborgne がベル研究所でワンタイムパッド暗号を発明している。ベル研究所のクロード・シャノンが後にこの暗号が破れないことを証明した。
1930年代カール・ジャンスキーが研究に使ったアンテナのレプリカ

1931年、カール・ジャンスキーはベル研究所で長距離通信時における定常雑音を調査し、ノイズの原因となる電波銀河系の中心から出ていることを突き止めた。これは電波望遠鏡に通じる発見で、のちに電波天文学の始まりとなったが、通信に関する問題ではないのであまり集中して行うことはなかった。1933年、ステレオ音声信号をフィラデルフィアからワシントンD.C.に生中継した。1937年、ホーマー・ダッドリー(英語版)が世界初の電子音声合成器ヴォーダー(英語版)を発明し、デモンストレーションを行った。ベル研究所の研究員クリントン・デイヴィソンは、ジョージ・パジェット・トムソンと共に電子回折現象を発見し、ノーベル物理学賞を受賞した。これは、後のソリッドステート電子工学の基盤となった発見である。
1940年代1947年、ベル研究所で発明された点接触型ゲルマニウムトランジスタ。この画像はレプリカ

1940年代初め、Russell Ohl が光電セルを開発した。1943年、世界初のデジタル式音声暗号化システム SIGSALY を開発。これが第二次世界大戦中に味方同士の通信に利用された。また、真空管の6AK5はレーダーシステムに広く利用された。1947年、ジョン・バーディーンウィリアム・ショックレーウォルター・ブラッテントランジスタを発明した(1956年、ノーベル物理学賞を受賞)。ベル研究所の最重要発明品と言われている。同年、リチャード・ハミング誤り検出訂正のためのハミング符号を発明。特許が確定する1950年までその成果は公表されなかった。1948年、クロード・シャノン情報理論の基礎を築いた "A Mathematical Theory of Communication" (通信の数学的理論)を Bell System Technical Journal に発表。ベル研究所の先達であるハリー・ナイキストラルフ・ハートレーの業績を踏まえつつ、それらを大幅に発展させた。シャノンは1949年の論文 Communication Theory of Secrecy Systems で現代暗号論の基礎を築いた。

ベル研究所では、ジョージ・スティビッツらが1940年代にリレーを使った計算機をいくつも開発した。

モデルI - Complex Number Calculator。1940年1月完成。複素数の計算ができる。

モデルII - Relay Calculator または Relay Interpolator。1943年9月。高射砲の照準計算用。

モデルIII - Ballistic Computer。1944年6月。弾道計算用。

モデルIV - Bell Laboratories Relay Calculator。1945年3月。Ballistic Computer の後継機。

モデルV - Bell Laboratories General Purpose Relay Calculator。1946年7月と1947年2月に2台制作。リレー式の汎用プログラマブル計算機。

モデルVI - 1950年11月。モデルVの拡張版。

1950年代

1950年代は、本来の電話事業の技術的サポートにおける改良が主で、マイクロ波中継、オペレーターを介さない自動即時通話、中継局、電話通信用継電器 (wire spring relay)、新型交換機(5XB)などが登場した。1953年、モーリス・カルノーがカルノー図を開発。ブール代数式を扱いやすくするツールとして重宝された。1954年、世界初の実用的な太陽電池を開発した[3]。1956年に敷設された初の大西洋横断海底ケーブル TAT-1(スコットランド-ニューファンドランド島間)は、AT&T、ベル研究所、イギリスとカナダの電話会社が関与した。1957年、マックス・マシューズが電子音楽演算用コンピュータプログラムMUSICを開発した。MUSICシリーズは現在の多くのコンピュータミュージックプログラムの基礎となった。ロバート・C・プリムとジョゼフ・クラスカル(英語版)が新たな貪欲法アルゴリズムを開発し、コンピュータネットワーク設計を進化させた。1958年、アーサー・ショーローチャールズ・タウンズの学術論文で初めて「レーザー」なるものが紹介された。
1960年代

1960年代には、ダウォン・カーンとMartin Atallaが金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ(MOSFET)を発明。MOSFETは、今日の情報社会を支える大規模集積回路 (LSI) の基盤となっている。1960年12月、A.Javanらは初めての気体レーザーであるヘリウムネオンレーザーの発振に成功。1962年、Gerhard M. Sessler と James E.M. West がエレクトレットマイクを発明。1964年、Kumar Patel が炭酸ガスレーザーの発生装置を発明。1965年には、アーノ・ペンジアスロバート・W・ウィルソンが、宇宙マイクロ波背景放射を発見し、1978年にノーベル物理学賞を受賞。1966年、R.W. Chang が無線通信サービスの重要な技術である直交周波数分割多重方式 (OFDM) を開発し、特許を取得した。1968年、J.R. Arthur と A.Y. Cho が分子線エピタキシー法を開発。1969年には、デニス・リッチーケン・トンプソンUNIXの開発を開始した。ウィラード・ボイルジョージ・E・スミス電荷結合素子 (CCD) を発明したのも1969年である。
1970年代

1970年代以降、ベル研究所でも世の流れに乗って、コンピュータ関連の発明が多くなってくる。1971年、コンピュータを使った電話交換機用のタスク優先度制御システムを Erna Schneider Hoover が開発し、世界初のソフトウェア特許を取得した。1972年、デニス・リッチーがインタプリタ型言語Bの代わりにコンパイル型言語Cを開発し、UNIXのより良い書き直し[4]のために採用された。1976年、ジョージア州で世界初の光ファイバー通信システムの試験を行った。1978年、デニス・リッチーとブライアン・カーニハンがC言語の事実上の規格書『プログラミング言語C』を出版。1980年、世界初のワンチップ32ビットマイクロプロセッサ BELLMAC-32A がデモンストレーションで動作した(製品化は1982年)。


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